4月、アジア訪問中のオバマ米大統領がクアラルンプール近郊のプトラジャヤにてマレーシアのナジブ首相と会談し、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の早期妥結を目指すことが確認されたが、その具体策は先送りとなった。
米国にとって東南アジア諸国連合(ASEAN)の中核であるマレーシアとの連携強化は、オバマ大統領のリバランス政策(アジア回帰)の成否を左右するものだが、交渉が難航する分野として、政府系企業と民間企業の競争条件、医薬品の特許期間等があるとされる。
ナジブ首相はオバマ大統領との会談において「国益」を考慮して調整を続けると語ったが、そこで言及したマレーシアの「国益」とは何だったのだろうか。この点をあらためて考えてみたい。
マレーシアの国策、「ブミプトラ政策」の歴史
1957年の独立以来、多民族国家マレーシアの最大の政策課題はブミプトラ(マレー人とその他の先住民)と華人(中国)系住民との経済格差を是正することであり、そのための「ブミプトラ政策」(マレー人優遇政策)が国策とされてきた。
独立時に施行された「マラヤ連邦憲法」(現在は「1963年マレーシア憲法」)では、第153条でマレー人の特別な地位について規定している。
同条によれば、(1)公務員職の採用、(2)政府の奨学金・訓練の付与、(3)公共事業や政府調達、(4)政府の許可・ライセンスの付与といった点につき、マレー人及びその他の先住民に対して合理的な割合が与えられる。これは、1948年のマラヤ連邦協約の締結後、農業・工業開発庁(RIDA)設立の際に実施した非マレー系住民への市民権付与と引き換えに導入された法制度だ。
マレーシアに暮らしていて、日ごろブミプトラ政策の存在を感じるのはマレー系住民の進学や就職時の優遇措置だが、そのような過保護が少なからず悪影響を与えているようにも見える。
かつて、マハティール元首相は、マレー系住民に対する優遇政策の必要性を訴えながらも、過保護がマレー系住民から危機感を奪い勤労意欲を削いでいる現実に悩んでいたようだ。
例えば2001年10月、「マレー系の人々がブミプトラ政策により与えられた事業ライセンスを使って起業するよりも、ライセンスを非ブミプトラに売却して手っ取り早くお金を得ようとする事例がある」と指摘している。2002年3月には「優遇政策がブミプトラの政府依存体質を生み出してしまった」とも発言している。