今から25年前の1989年6月4日、北京の天安門広場で民主化を求める学生運動が発生した。それを鎮圧したのは警察ではなく、敵と戦って国を守るべき人民解放軍だった。
それから25年経過したが、中国政府の公式見解はいまだに変わらず、あの運動は「一部の者が企てた国家を転覆しようとした動乱だった」と言われている。確かに、胡耀邦元共産党総書記の死去(1989年4月15日)を発端とする学生運動に対して、中国共産党中央はかつてないほど寛容だった。共産党中央は学生のリーダーとの対話を試み、事態の収拾を図ったこともあった。しかし、大学生が求める民主化の政治改革は一貫して拒み続けた。
当時の中国社会情勢を冷静に振り返れば、大胆な民主主義の政治改革は時期尚早だったと思われる。とはいえ、どんな理由があろうが、国を守るべき人民解放軍が非武装の学生に向けて発砲するのは許される行為ではない。
この25年間、中国の知識人たちはさまざまな角度から政府に対して天安門事件の再評価を求め働きかけてきた。だが残念ながらその甲斐はなく、天安門事件はいまだにタブーとされている。
中国国内のインターネットの検索エンジンで「天安門事件」を検索すると、まったく違う検索結果が表示されたり、「法律に違反するキーワードが含まれているため検索できない」という表示が出てきたりする。
しかし、歴史の事実を直視しないことで最もダメージを受けるのは、ほかでもない。共産党自身である。この簡単な理屈を今の共産党のトップが分からないわけがない。
では、なぜ直視しないのかというと、仮にここで天安門事件を再評価すれば、最高実力者だった鄧小平の功績の一部が否定されることになり、場合によっては共産党の指導体制も危うくなりかねないからだ。結局のところ、共産党中央は地雷のような天安門事件をタブーにするしかないのである。
言論の自由を保障する一方で知識人を弾圧
中国は法治国家ではなく「人治国家」であるとよく指摘される。しかし、中国の法律は新興国の中で最も整備されている国の1つである。それにもかかわらず、なぜ人治国家と言われるのだろうか。