「誰に何をどうやって伝えれば正しく伝わるのだろう」
福島の放射線問題に少しでも関わったことのある者なら誰もが抱える悩みです。そのような方々とお話ししていると、いつも議論の行き着く先があります。それは「何を伝えようとしても、読者のリテラシーがなければ伝わらない」という悩みです。
福島の安全性を謳うと外部から「人殺し」と言われ、危険性を謳うと内部から「人非人」と誹謗される。物事の複雑さや二面性を解さない、このような読者リテラシー、あるいは読者の倫理観の欠如が「フクシマ」と「一般社会」との距離感を作っています。
日本人の70%が大手メディアの報道を信じるがゆえに、読者が報道の矛盾を許さない。そのような時代の中で、原発災害はどのように語られるべきなのでしょうか。
ジャーナリストの苦悩
「原発事故は、新聞記者にとっても痛恨の事件でした」
ある記者の方にお聞きした話です。
「それまでも、会社が『この地域は危険だから入るな』という通達が出ることはありました。これは会社の立場としては当然です。でも、会社命令に反して危険地域に入って特ダネを取ってきた記者に対して、実際に罰則が出ることはほとんどなかった。会社側も知らぬふりして、それを記事に使ったり。そういう暗黙の了解みたいのがあったんです。でも今回の原発事故では、会社が『入るな』と言ったら本当に皆が引き揚げてしまった。会社側も予測していなかった事態だったんです」
すべての記者がそうだったわけではないのでしょうが、地元の方のお話と照らし合わせると、あたらずといえども遠からず、といったところでしょう。南相馬で利用したタクシーの運転手さんは、2回目の爆発の直後に山の向こうまで新聞記者を送ったことがある、と話して下さいました。
「会社から帰らなければクビだ、と言われた、って言っていましたよ。それで私も避難を決意しました」
また、会社の命令には従いつつも情報を得たい、という努力もあったようです。