安倍政権が「デフレ」に気を取られて愚かなリフレ政策をやっているうちに、実体経済は確実に悪化した。2013年度の貿易赤字は13兆7488億円と過去最大を記録し、成長率も賃金も株価も下がり続けている。上がっているのは物価だけだ。
こういう無能な政権の下で日本経済が成長する望みはないが、成長は人生の目的ではない。所得は幸福を得る手段にすぎず、それが増え続ける必要もない。人類は1万年前から、1人あたりの年収300~800ドルで暮らしてきた。必要なのは、高度成長期のライフスタイルを高齢化と低成長の時代に合わせることである。
労働と余暇の分離
人々が成長を求めるのは、労働は苦役で、その代償に金銭を得ると考えているからだろうが、金銭そのものに価値はないので、それで買うものが最終目的だ。つまり労働という「不効用」で消費による「効用」を買うわけだが、後者が増えなくても前者が減れば幸福度は上がる。
行動経済学の研究でも、年収4万ドルを超えると所得と幸福度には相関がなくなる。同じ所得でも、何もしないで生活保護をもらっている人より働いている人の方が幸福度が高い。労働には目的があるからだ。
労働が苦痛なのは自由に過ごせる余暇が減るからだが、歴史のほとんどの時期において労働は余暇と分離されていなかった。農業社会では1日は時計の時間ではなく、鳥の鳴き声や太陽の光で始まり、日没とともに終わった。日本でも農耕は人々の自己実現だったから、長時間働く「勤勉革命」が実現した。
こういう時間の使い方を変えたのが、18世紀以降の資本主義だった。就業規則が作られ、人々は工場にある時計に従って仕事しなければならない。非労働の時間はそれまでの漠然とした暇(spare time)ではなく、労働時間と区別される余暇(free time)になった。
他方、遊びは子供のものとして労働から明確に区別され、学校や幼稚園で「よい遊び」を教え、スポーツを科目として教えるようになった。遊びは労働に従属し、宗教的な意味を失って「漂白」された。何も生産しない賭博や売春は禁止された。