マット安川 ゲストに元参議・平野貞夫さんを迎え、戦後政治史から現在にいたるまで、集団的自衛権や国防の問題について細かく説明いただきました。

改正手続きを整備しないのは憲法への冒涜である

平野 貞夫(ひらの・さだお)氏
1960年衆議院事務局に就職。園田直衆院副議長秘書、前尾繁三郎衆院議長秘書などを経て92年に参議院議員初当選。自由民主党、新生党、新進党、自由党などを経て2003年民主党に合流。04年、政界引退。『わが友・小沢一郎』『小沢一郎 完全無罪』『平成政治20年史』『消費税国会の攻防 一九八七-八九 平野貞夫 衆議院事務局日記』など著書多数。(撮影:前田せいめい、以下同)

平野 国民投票法改正案の審議が始まりました。2010年に施行されたこの法律を作るべく、当時本格的な議論に火を点けたのは私です。だから憲法改正推進論者だと、相当右寄りなんじゃないかと言われるんですが、これは右も左も関係ない問題です。

 私は日本国憲法の平和主義、国民主権主義、基本的人権主義という原理は正しいし、これを発展させなきゃいけないと思っています。世界遺産になってもいいと思うくらいです。しかしほかのところで言葉の間違いや、規定が不明確な部分などがいくつもある。

 そういうところは変えないといけません。しかし、国会は憲法改正のための法整備を意図的に止めていました。

 ひとつには戦後、10年間は憲法を改正してはいかん、改正手続きの法律も作ってはいかんという占領軍からの圧力があったせいですが、独立を果たしてからも事態は進みませんでした。

 吉田(茂)内閣は国民投票法の草案を作りましたが、そのころ朝鮮戦争が起きたせいで再軍備論が盛んに叫ばれたんですね。それに対する国民の反発もあって、吉田さんは結局、法案を提出できなかった。その後も改正反対陣営の抵抗に遭って、改正手続きは平成になるまで不備のままでした。

 しかし、憲法には改正の規定があります。なのに具体的な手続きを定めないというのは、民主国家としておかしい。憲法への冒涜と言ってもいいでしょう。あのとき私が提言したのは、そんな純粋な気持ちからのことです。

日本を戦争をできる国にするなら国民投票による憲法改正を

 自民党の安倍(晋三首相)さんを中心とする人たちが、砂川事件の最高裁判決を根拠に内閣の憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認を進めようとしています。判決は限定的な集団的自衛権を認めたものだからという理屈ですが、自民党のハト派連中までがこれに納得し始めていることには、唖然とせざるをえません。