マレーシアのクアラルンプールに来ている(3月25日記)。東南アジアの国々をめぐる旅の一環である。もっとも、今回ばかりは、やや異常事態の直中での現地訪問となった。現在、クアラルンプールでは、MH370事件の余波がこれまで考えられなかったほど、大きく拡がっているからだ。
25日の当地紙の「ニューストレイツタイムズ」は、「Goodnight, MH370」との表題を掲げ、1面トップで、前日のナジーブ首相の声明を伝えた。すなわち、英国からもたらされた情報の解析によれば、MH370の最後の位置は、オーストラリアのパースの南のインド洋であったとして、着陸できるような場所のない、南インド洋で終わったと結論したことを報じたのである。
ひょっとするとこの事件は、単純に飛行機事故に対する対処を超えて、マレーシア政府の意図如何にかかわらず、地域全体の力学を思わぬ方向に引きずっていく可能性もある。国家的な危機は、その国のあり方を必ず大きく変えるからだ。
すでに、この事件は、中国をめぐるマレーシアの外交政策にも微妙な影を落としつつある。今年は、中国とマレーシアの国交樹立40周年記念というのに、もはやそれを祝うようなムードは残念ながら、ここにはない。
無力感が漂う首都クアラルンプール
現在のマレーシアの国民感情の1つは、マレーシアという国の能力に対する無力感である。残念ながら、オーストラリアの南西沖2500キロメートルも離れた海域における捜査をマレーシア自体が実施できる能力はない。いわんや、衛星による画像分析能力や探知能力などの高度に先進的な技術はマレーシアにはないのである。
この数日だけでも、オーストラリア、中国、フランスの各国が提供した衛星写真による未確認情報がマレーシア各紙を賑わしている。その一方で、昨日の当地の新聞では、民間航空機の消失を未然に防げなかったマレーシア空軍への批判に対する擁護の論調も見受けられる。
現在のサーチ・アンド・レスキューの調整は、事実上、オーストラリアが行っており、マレーシアは受け身の立場に置かれているのが実態である。