スイスのチューリヒで、日本人のフラメンコ舞踏家に出会った。「えっフラメンコ? スペインじゃないの? 日本人のフラメンコ舞踏家?」と次々に疑問が頭の中を駆け巡る。

「フラメンコの醍醐味は、音楽家と踊り手とで一緒に作り上げていくことです。必ず両者が溶け合うようになるのが大きな魅力ですね。1曲を納得いくものに仕上げるには、普通は1年かかります」とロッハーさん。背後のギタリストは巨匠として名高い三澤勝弘さん(写真提供:ロッハー葵、以下特記以外も) 拡大画像表示

 その女性、ロッハー葵は日本でフラメンコ一家に育った。「日本の両親もきょうだいも家族みんなが踊っているんです」と話すロッハーに、只者ではないと思ったらその通り、母がこの世界でとても著名な舞踏家、沙羅一栄(さら・かずえ)だという。沙羅は日本にフラメンコを広めてきたパイオニアの1人で、公演に後世の指導にと現在も大活躍中だ。

 いまや日本は、本場スペインと比べても押しも押されもせぬほどのフラメンコ大国。ロッハーは舞台に立ちながら、母が設立したアルテフラメンコ舞踊学院で、講師も務めていた。

 ロッハーがスイスに来たのは5年前。夫の仕事の関係で住むことになった。スイスでもフラメンコを習う人が多い中、日本人にフラメンコを教え、MIOAというユニットを作って、ギターではなくバイオリン伴奏のフラメンコで独自路線を切り開いている。10月には、ヨーロッパトップクラスの演奏が開催されることで名高い、チューリヒの歴史ある音楽ホール、トーンハレでの公演が決まっている。

 2人の子供を持つロッハーの表情は、とても明るい。順調にフラメンコと共に歩んでいる様子だが、その裏では有名人の2世であることにずっと悩んできた。そして、スイスでも心が揺らぐ中で活動を進めてきた。外からは見えないそんな心の葛藤を、ロッハーは本稿のために打ち明けてくれた。(文中敬称略)

「クラシカルバイオリン・フラメンコ」で再出発

 2014年1月26日、いつも人が絶えないチューリヒのお洒落なカフェバーで、ロッハーはフラメンコの単独ショーを開いた。これが日本を離れて5年の、スイスでの初舞台だった。

 スイス人、スペイン人、日本人とロッハーが生きる3つの文化圏の人たちに囲まれた中で見せたのは、バイオリンの調べにのってという異色のフラメンコだった。

 「クラシック音楽でのフラメンコ」というのは知らなかった。本場スペインでは少数派とはいうものの、れっきとしたフラメンコの一分野だという。フラメンコは十人十色で舞踏家の個性が非常に強く表れる。ロッハーは日本にいたころはギターの音で踊っていたが、チューリヒでバイオリニストの山本未央に出会って敢えて新しい分野に挑戦した。

2014年1月26日、チューリヒで初リサイタルを開いた。ギターではなく、バイオリンの調べにのせて踊るのがロッハーさん流。バイオリニスト山本未央さんとのユニット「MIOA」で今後も活動を続けていく。今年10月にはチューリヒの大舞台での披露が決まり、「とてもうれししいとともに気が引き締まります」と話す