アフリカ大陸のほぼ中央に位置する国、南スーダンが揉めている。つい2年半程前に、その独立を国際社会が祝った、あの南スーダンである(注:2011年7月にスーダン共和国南部の10の州が分離独立し南スーダン共和国を建国した)。今や非常事態宣言が発出され、反政府軍が首都ジュバに迫ろうとする中で、当事者間の和平交渉が隣国エチオピアの首都アディスアベバでようやく始まったばかりである。そして、その和平交渉の行方は予断を許さない。

 だが、南スーダンの独立のためにエネルギーを注ぎ込んだ、南スーダンを知る多くの国際社会の関係者には、それほどの戸惑いはないのかもしれない。むしろ、「やれやれ」と大きな溜息を漏らさざるをえないのに、人前ではなんとか堪えているというところであろうか。

独立前から活動していた南スーダン「外交」機関

 筆者は、4年程前まで勤務していたエジプトのカイロで、当時、近未来の南スーダン政府の代表たちと和やかに談笑していたのを想い出す。独立を目の前にした南スーダンは、すでにエジプトを含め近隣各国に事実上の外交上の代表部を設置していたのである。

南スーダンの首都ジュバ

 その前身は、スーダン政府と長年戦ってきた「スーダン人民解放運動(SPLM)」の代表事務所であったが、当時、すでに「南部スーダン政府代表事務所」を隠すこともなく、名乗っていた。

 また、エジプトは、スーダンの旧宗主国だけあって、早い段階から南部スーダン政府代表部とスーダン大使館の双方と緊密な関係を有していたのである。そして、南部スーダン政府代表部に対しては、エジプトの情報機関が主として窓口となり、スーダン大使館とはエジプト外務省が公式な関係を持つということで、うまく裏と表の顔を使い分けていた。

 カイロの日本大使館は、当時の南部スーダン政府代表事務所とは、歩いていけるほど近い場所にあった。お隣同士のよしみというわけでもないが、南スーダンの将来を見極めようと、筆者は当時、この代表事務所をこっそりと訪問していたのである。

 面白いことに、南スーダン人の外交官たちの民族構成を聞いてみると、代表を含め、その多くはディンカ族であったものの、ヌエル族出身者もいた。そのため、南部スーダン政府代表部における、彼らの共通言語も、ジュバ・アラビックと呼ばれる、アラビア語か英語であった。少し南部訛りの古ぼけたアラビア語で、彼らと話したことが懐かしい。