新春第1回目の『中山泰秀のやすトラダムス』(1月5日放送/Kiss FM KOBEで毎週日曜24:00-25:00放送)では、安倍(晋三)首相の靖国神社参拝をめぐり緊張が増す日中韓の関係について語ったほか、南スーダンのPKO(国連平和維持活動)での韓国軍への銃弾提供などを取り上げた。

戦争には「行かせた側」と「行かされた側」が存在する

安倍首相の靖国参拝に「失望している」、米大使館が声明

靖国神社を参拝する安倍晋三首相(右)〔AFPBB News

中山 安倍(晋三)首相が、政権発足から1年となる昨年12月26日、東京・九段の靖国神社を参拝したことが国内外で大きな話題となりました。

 この件についてJBpressでは、「安倍首相の靖国神社参拝:問題の本質は何か?」という記事で、主要紙の社説や安倍首相の談話で触れられていない論点について取り上げています。

 それは「戦争に敗北した結果として数百万の国民が犠牲となった場合、その戦争を企画し実行した者は国内政治上いかなる責任を負うべきか」という命題です。

 靖国問題の本質は「東京裁判」「A級戦犯」が国際法上有効か否かとは別次元の問題であり、日本が国家として先の大戦の「国内政治上の敗戦責任」をいかに捉えるかにかかっていると指摘しています。

 これは「A級戦犯の分祀論」、要するに靖国神社にA級戦犯が合祀されていることの是非にも関わる問題です。戦争に行かせた側と行かされた側の関係において、行かせた側である戦争責任者がどう責任を取るべきだったのか、記事ではそれを問うている気がします。

 靖国参拝に関する意見や主張は多岐にわたります。例えば、A級戦犯の分祀を求める声もありますが、靖国神社は「一度合祀した御霊を分けることはできない」としていますし、あるいは「そもそも日本にA級戦犯は存在しない」という意見もあります。

 そうした様々な見方がある中で、戦争責任論というものを冷静に見極めていかなければ、戦後69年目にして過去の総括を誤ってしまうことにもなりかねません。

第3次世界大戦は米中の衝突?

 靖国参拝を韓国や中国から非難されるいわれは一切ないと私は思います。先の大戦で、まだ見ぬ子供たちの平和な未来を心から願って戦死していった英霊の御霊の存在があるからこそ、私たちの今があるのです。

 靖国神社にはそうした戦没者やご遺族の崇高な思いが息づいていることを忘れてはなりません。いずれにせよ、過去の問題だけを議論するのではなく、未来に向けて戦争のリスクを回避していく方がよほど重要だと思います。

 日中韓の関係が本当に悪くなったら、大変な問題です。20世紀の冷戦時代、日本はいわゆる西側諸国の砦であり、その反対にいたのが共産主義諸国である中国や旧ソ連でした。

 そうした当時のイデオロギーのバランスも考えながら、21世紀における日中韓の関係改善に資する議論を重ねるべきです。