日本とカンボジアの外交関係樹立60周年記念となるのが2013年1月9日であった。その影響もあってか、両国を繋いだイベントが数多く開催された。ビジネス、文化交流、経済支援。日本とカンボジアは急速に繋がり始めている。
2013年3月、そんなタイミングでカンボジアに着任した隈丸優次(くままる・ゆうじ)特命全権大使。自身がずっと関わってきた中国と日本、そして中国とも深い関係のあるカンボジアについてのお話を伺った。
中国の影響を受けたカンボジア―中国との類似点と相違点
――カンボジアに来る前は何をされていましたか。
隈丸 1975年4月に外務省に入省いたしました。その翌年より中国北京に赴任。その後ニューヨークの国際連合事務局、在中華人民共和国日本国大使館(北京、計3回)、交流協会台北事務所総務部長、在上海日本国総領事、在タイ日本国大使館特命全権公使、在香港日本国総領事などを経て、この度カンボジア大使として赴任してまいりました。
外交生活は38年間となり、その大半を海外で過ごし、主に中国に関わってまいりました。
――中国同様、急速に経済発展が進んでいるカンボジアに着任して9カ月経過しました。実際に体感したカンボジアをどう思われますか。
隈丸 このタイミングでカンボジアに来られたことは本当に良かったと思います。東南アジア全体が躍進をしているなか、カンボジアも同様に経済、社会が急速に伸びてきています。今後は政治面、社会面、経済面、対外関係など様々な面での調整、転換が必要となる時期です。
日本としてもこれらに対して、なんらかの役割を果たせる状態があると思っています。今のこの状況からここに身をおいてきちんと考察し、自分たちができることを役目とし、大切なことを担っていけるということは、外交官としても非常に幸運な境遇ではないかと思います。
また自分がずっと関わってきた中国の発展とそれに関する問題、それらと比較しながらカンボジアを見てみることで見えることもあると思いますので、押し付けとならない範囲で、この国に貢献できればと考えます。
――文革から急激に発展する中国を間近で見てこられた経験から、今後カンボジアで起こりうる問題、状態はどのようなものと思われますか。また中国の発展とカンボジアの発展の違いを感じるとすると、それはどのようなことが原因だと思われますか。
隈丸 1960年代、1970年代の中国は文化大革命の時代で、国を閉ざしていました。対外的な交流を持たず、自力更生で国をつくっていこうという発想でした。カンボジアではクメールルージュ時代において国際的交流を断って、自力更生を目指したという意味では改革開放前の中国と非常に似ています。
その後の中国においては1976年以降、鄧小平が復活して改革開放政策の追求が今日まで続いています。ここカンボジアにおいては、1993年に国民議会選挙が終わり、憲法が成立され王国が復活したことで国際関係を展開しました。