11月11日、ポール・マッカートニーの11年ぶり4度目の来日公演が行われた。ビートルズナンバーを中心とした数々の名曲に大満足の観客。しかし、「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」の日本公演への道は、思いのほか長く曲がりくねったものだった。

成田に降り立ったポール・マッカートニーを襲った災難

ニューヨークのセントラルパークにはジョン・レノンに捧げられた「ストロベリー・フィールズ」がある

 1980年1月、ポールはウィングスのメンバーとともに、成田空港へと降り立った。ところが、大麻取締法違反で現行犯逮捕。数日間勾留ののち国外退去処分となり、解散後初となるはずだった元「ビートル」来日公演は中止となった。

 1975年、薬物使用歴で予定されたコンサートがキャンセルとなる過去があっただけに、音楽ファンは「なぜ?」という思いでいっぱいだった。

 解散後もコンスタントにヒット曲を出していたポールは、5月、ソロ名義のニューアルバム「マッカートニーII」をリリース。その第1弾シングル「カミングアップ」は全米ナンバーワンヒットを記録した。

 しかし、前年12月スコットランド最大の都市グラスゴーでのライブバージョンで聞かれる観客の熱狂ぶりに、胸中複雑な日本人は多かった。

おかしなおかしな石器人

 そんなポールの新作は、半ば活動休止状態にあったジョン・レノンをも奮い立たせた。そしてニューアルバム「ダブル・ファンタジー」が完成。

 1980年代に入り、再出発の決意をうかがわせる先行シングル「スターティング・オーヴァー((Just like)Starting over)」も、12月初め、快調にヒットチャートを駆け上がっていた。

 20世紀最大のソングライターとも言われるレノン、マッカートニーの復活劇に満足する世界中の音楽ファン。しかし、12月8日、衝撃的なニュースがその思いを粉々にしてしまう。ジョンがニューヨークの自宅アパート前で射殺されたのである。

 突然の訃報に、リンゴ・スターはバハマからフィアンセを伴ってすぐさま駆けつけた。そのフィアンセとは、のちに生涯の伴侶となる映画『おかしなおかしな石器人』(1981)で共演したばかりの女優バーバラ・バック。

 この頃、リンゴは、3人の元「ビートル」とも競演予定のニューアルバム「バラの香りを(Stop and smell the roses)」の制作中で、合間のひとときをフィアンセと過ごしていたのである。