私は、日本社会、あるいは政治の世界で「護憲」という言葉が、何の疑問もなく使われていることに強い違和感を覚えてきた。

 なぜなら憲法も1つの法律であることには変わりはない。もちろん手続き面では、他の法律とは異なる。憲法第96条で、「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」として、国民投票を義務付けている。しかし、ここで重要なのは、現憲法にも改正を前提とした条文が存在するということだ。

 他の法律で、「この法律は絶対に改正してはならない」などという運動が存在するだろうか。寡聞にして聞いたことがない。憲法にしろ、法律にしろ、その時代、その時代を反映したものである。未来永劫変えてはならない憲法や法律など、本来あり得ないはずだ。憲法は一字一句いじってはならないなどという主張は、思考停止の産物に他ならないと、私は思う。

憲法前文の基となったアメリカの歴史的文書

 現在の憲法の草案が、アメリカを中心とした連合国による占領下で、連合国最高司令官総司令部(GHQ)によって作られたことはよく知られている。憲法前文には、その特徴がよく表れている。

 西修駒澤大学名誉教授の『図説 日本国憲法の誕生』(河出書房新社)によると、この前文は次の歴史的文書を基礎として作成されたものであった。

 (1)アメリカ合衆国憲法(1787年)、(2)リンカーン大統領のゲティスバーグ演説(1863年)、(3)マッカーサーノート(1945年2月)、(4)米英ソ首脳によるテヘラン宣言(1943年)、(5)米英首脳による大西洋憲章(1941年)、(6)アメリカ独立宣言(1776年)が、それである。

 同書には、日本国憲法の前文とこれらのアメリカの歴史的文書の類似箇所が掲載されている。それを引用する。

【前文】「われらとわれらの子孫のために・・・わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、・・・この憲法を確定する」

(アメリカ合衆国憲法) 「われらとわれらの子孫のために自由のもたらす恵沢を確保する目的をもって、ここにアメリカ合衆国のために、この憲法を制定し、確定する」