経営力がまぶしい日本の市町村50選(20)
岩手県葛巻町は知る人ぞ知る最も有名な日本の地方自治体の1つである。その理由は何と言ってもエネルギー自給率が160%を超えるという、エネルギー立国ぶりにある。東日本大震災で原子力発電に疑問符がつくはるか前から自然エネルギーに着目し、風力や太陽光、バイオマスなどの自然エネルギー開発に力を入れてきた。
そしてもう1つが、もう古くなってしまったが「じぇじぇじぇ」で有名になった岩手県久慈市の隣町ということだろう。ただし、久慈市に行くには山を1つ越えていかなければならない。また盛岡など岩手県のほかの町に行くにも山を越える必要がある。
それほど山深く農業や林業以外に目立った産業がなかったために過疎化の進展が急速で、そこに強烈な危機意識が芽生えたことが「エネルギー立国」に目覚めるきっかけとなった。日本中から毎年多くの見学者を集め、地方自治のモデル地域の1つと見なされるようになった。
しかし、実は、その取り組みは完成の域に達したと言うにはほど遠い。エネルギー完全自給という華やかな施策の裏で人口の流出が止まらないからだ。
ただし、それは町の経営が失敗していることを意味するのではない。むしろ成長痛と呼ぶべきものだろう。町は問題点をよく把握しており、若者を呼び込むあの手この手の施策を用意し実行し始めている。
また、有名になったエネルギー自給も、例えば地熱発電には全く手を出していないなど、さらに大きく進展する可能性がある。
過疎に苦しむ地域をいかに蘇らせるか。葛巻町の取り組みは、日本の未来を懸けた壮大な実験と言えるのかもしれない。目の離せない自治体の1つである。
クリーンエネルギーは第1次産業を一歩ずつ前進させてきた結果
川嶋 葛巻町は早くから風力や太陽光、バイオマスなどクリーンエネルギー発電に力を入れ、エネルギー自給率166%の町になりました。その経緯からお聞かせいただけますか。
鈴木 そもそも町でエネルギーを自給しようという考えはなかったんですよ。
川嶋 え、そうなんですか?
鈴木 私たちは町の基幹産業を第1次産業に据え、それを一歩ずつ前進させてきただけです。バブルの頃も含め、どんな時代も淡々とやってきました。
昭和20~30年代は燃料が木炭だったので、町内の山林所有者は裕福でした。しかしそれが石炭、さらに石油に代わり、薪や木炭などが使われなくなってきた。それでも山で木を切ったら植える、管理して育てるということをずっとやってきました。
また、東北一の酪農の町になりたいという夢を描き、昭和50年当時、町には乳牛が約5000頭しかいなかったのを1万頭に増やそう、牛乳も1日30トンの生産から100トン生産する町にしようと取り組んできました。そういう林業と酪農の町づくりを推進してきたんです。