今、中国社会は歴史的な分水嶺に差しかかっていると言ってよい。

 急速な経済成長は、今まで社会の歪みを覆い隠してきた。しかし習近平政権になってから経済成長が減速し、幹部の腐敗など政治・社会の不健全性が一気に噴出している。

 共産党指導者は「党員と幹部は人民の公僕であり模範的な言動を取らなければならない」と教条的な説教を繰り返すが、効果はない。

 毎日、贅沢三昧の共産党幹部の生活を民衆が見て平常心でいられるわけがない。胡錦濤政権では、「和諧社会」(調和の取れた社会)の構築をスローガンとして掲げた。だが、実体はその逆の方向へ突き進んだ。国民の大多数の生活レベルは改善されず、中国社会はますます調和が取れなくなっている。

 習近平政権になってから共産党への求心力を高めるために、国民に対して「中国の夢」を唱えるようになった。かつてアメリカのマーチン・ルーサー・キング牧師は支持者に向かって「私には夢がある」と演説した。習近平国家主席も同様に中国の夢を実現することを国民に訴えた。

 ただし、国家の夢と民衆の夢を混同してはならない。習近平国家主席によれば、国家としての夢は中華民族の復興である。だが、民衆の夢はもっと切実なものだ。つまり、憲法で保障されている権利が侵害されないことである。国家や民族の復興が実現しても、民衆一人ひとりの生活が改善されなければ、決して和諧社会は実現されない。

幹部の腐敗は権力闘争をもたらす

 共産党幹部腐敗の基本的な構図は、権力を振りかざして巨額の金品を不正に手に入れることである。しかし、幹部の腐敗は金品の授受に止まらない。巨額の蓄財とともに、必ずさらなる権力を手に入れようとする。なぜならば、権力の最大化は利益の最大化を意味するからである。

 これこそ中国共産党にとっての最大のリスクである。かつて、30年前に共産党幹部の腐敗といえば、数千元ないし数万元程度だったが、近年、億元単位の腐敗事件が続発するようになった。

 共産党幹部の巨額の贈収賄や横領事件の報道を聞いて中国国民がいつも質問することは「どうしてこんなにたくさんのお金が必要なのだろうか」ということである。確かに、どんなに贅沢しても使い切れないほどの金品を授受するのは不思議である。共産党幹部の欲望には際限がないとしか言いようがない。