米軍のアフガニスタンからの完全撤退が来年9月に迫っている。
ジョージ・W・ブッシュ政権時代の2001年に始まったアフガニスタン戦争も、足かけ14年の末についに終結することになる。巨額の赤字に苦しむ米国としては、膨大な戦費負担を削減するためにイラクに続いてアフガニスタンからの「足抜け」を果たすのは急務だ。
米軍の撤退を歓迎しないロシア
だが、この動きを必ずしも歓迎していないのがロシアである。
ロシアの懸念は、米軍撤退後のアフガニスタン情勢に関連している。依然としてタリバーンはアフガニスタン南部やパキスタンの部族直轄地域を拠点として勢力を保っており、その背後にいると見られるパキスタンと米国との関係も悪化している。
さらにアフガニスタンのカルザイ政権の腐敗に対して米国が非難姿勢を強めていることで、米国とアフガニスタンとの関係も芳しくない。
こうした四面楚歌の状況下で米軍を中心とするISAF(国際治安支援部隊)はアフガニスタン国軍と警察の育成に努め、撤退後にアフガニスタンが自力でタリバーン勢力を制圧できる能力を持たせようとしているが、来年9月までにそのような態勢が完全に整う見込みは薄い。
これに対してロシアが懸念しているのが、再びタリバーンが勢力を拡大し、アフガニスタンを席巻するのみならず中央アジアの旧ソ連諸国にまで進出してきたり、チェチェンやダゲスタンといった北カフカスのイスラム武装勢力と呼応し合う可能性だ。
実はこれに近い事態を、ロシアは1990年代から2000年代初頭にかけて経験している。最初の契機は1990年代前半に発生したタジキスタン内戦で、この際、ロシアはタジキスタンがイスラム化してアフガニスタンから大量の武装勢力が流れ込むことを懸念し、大規模な平和維持部隊を送り込んだ。
さらに1997年にはウズベキスタンでもイスラム武装勢力の活動が活発化し始め、1990年代末になるとキルギスタンやタジキスタンのウズベク系イスラム武装勢力とも呼応し合って、中央アジア一帯で大規模な武装蜂起を起こすようになった。
また、1999年の夏にチェチェン独立派の一部が引き起こしたダゲスタンへの侵攻事件は、その背後にアル・カーイダの関与が指摘されていた。
この結果、ロシアではイスラム過激派が中央アジアばかりかカスピ海を経由してヴォルガ河沿いにロシア本土奥深くにまで進出してくるのではないか、との懸念が真剣に持たれるまでになったのである。
ロシアがカザフスタン国境付近に6万人の兵力(これは第2次チェチェン戦争時の侵攻兵力にほぼ相当する)を配備することを検討したり、他のCSTO(集団安全保障条約機構)諸国とともにCSTO緊急展開部隊を創設したのもこの頃である。