1990代半ばに商用サービスが始まったインターネット。時間や距離の壁を越えてサイバー空間は瞬く間に地球の隅々まで広がり、経済システムのグローバル化と相互依存が急激に進んだ。しかし、「壁」を越えるという性格そのものが今、新たな国家間の緊張関係を生み出し始めた。(本稿中、意見にわたる部分は筆者の個人的見解である)
国際政治の中心地、米国ワシントンDC。アメリカ歴史博物館、自然史博物館をはじめ多くの博物館が並び立ち、世界中から観光客が押し寄せている。その1つが、ニュースとジャーナリズムをテーマとする博物館「ニュージアム」(Newseum)である。
2010年1月、この博物館を舞台に選んだクリントン国務長官は「インターネットの自由」と題する重要な講演を行った。
「昨年1年間にも、情報の自由な流通に対する脅威があった」と前置きした上で、インターネットに対する検閲や規制強化を行っている国として中国、チュニジア、ウズベキスタンを名指しで批判したのだ。
そして、1941年にルーズベルト大統領が提唱した4つの自由、すなわち「表現の自由」「信教の自由」「欠乏からの自由」「恐怖からの自由」はインターネット上でも基本的人権として確保されるべきだ。――こう高らかにうたい上げた。
さらにこの4つの自由を実現するには、「接続する自由」が不可欠と指摘。その上で、公権力によるインターネットへの介入を防ぎ、世界の誰もがインターネットを民主的社会の構築に役立て、個人の生活を豊かなものにする権利を持てるようにすべきだと訴えた。
グーグル中国本土撤退の衝撃、米中関係が一気に緊迫化
時計の針を少し戻してみよう。
4年前、グーグルは中国本土で検索サービスを本格的に開始した。その際に当局の要請を受けて、部分的に情報を非開示にする措置を受け入れた。
具体的には、中国の法令に従い「天安門事件」など一部のキーワードで検索結果を表示しない「自主検閲」を実施した。こうしたグーグルの態度は当時、米国内でも連邦議会などから厳しい批判を浴びていた。しかしながら、グーグルは「(中国)市民の情報アクセスを高めることが必要」と判断し、中国本土での事業開始に踏み切った。
その後、事態は急展開する。2009年12月にグーグルは中国を発信元とする高度なサイバー攻撃の標的とされ、2010年1月には知的財産を盗まれたと公表した。しかもその後の調査によると、この攻撃にはセキュリティーを破る以上の意図、具体的には中国人権活動家のメール情報の取得が目的だったことが判明した。