向山製作所の社長、織田金也さんは、自社商品に絶対的な自信を持っている。だから、なんの色眼鏡もかけず、商品そのものだけを評価してほしいという。

電子部品工場の一角で生キャラメルを作っている

 その商品とは生キャラメルである。口に入れたとたんに濃厚な甘さが口の中に溶け出し、すぐに小さくなって消えてなくなる、あの不思議な食感のお菓子だ。向山製作所は2009年から生キャラメルを製造販売している。

 同社の生キャラメルはとかく色眼鏡で見られがちだ。まず、同社は食品関連の会社ではない。生キャラメルを売り始めたとき多くのマスコミに取り上げられたのは、同社がお菓子メーカーや乳業メーカーではなく下請けの小さな電子部品工場だったからだ。

 電子部品工場が作る生キャラメルとは一体どんな味なのか。地元の新聞から全国ネットのテレビ局まで興味深々で取材に訪れ、全国に報じられた。

 色眼鏡はそれだけではない。その後、同社の生キャラメルはさらにやっかいなレッテルを張られることになる。それは、「福島」の会社が作っているというレッテルだ。同社の本社・工場は福島県郡山市にある。

震災で国際線ファーストクラスへの搭載がキャンセル

 原子力発電所の事故で福島県産の食品が受けた被害の大きさは筆舌に尽くしがたい。まず、放射性物質による直接的な汚染があった。加えて風評被害である。事故発生直後は正確な情報が不足していたこともあり、日本全国で「福島県の食品は危険だ、口にしてはならない」という空気が広がった。いまでもその空気は多くの日本人の意識の底に重く沈殿し、張り付いている。

 原発事故が発生して、向山製作所の生キャラメルは注文のキャンセルが相次いだ。その中には航空会社に納入している生キャラメルも含まれていた。

 生キャラメルの販売を始めてから1年半ほど経った2010年11月、航空会社から電話があった。「生キャラメルを国際線のファーストクラスで使わせてもらいたい」という。願ってもない話だった。調理室を拡張して、それまで2台しかなかったコンロを5台に増やした。担当従業員も増やして、増産体制を整えた。翌年の3月1日から生キャラメルは国際線に乗って空を飛んだ。さあ、これからだ、生キャラメルを日本中の、いや世界の人たちに食べてもらえる。みんなそう思った。

 その矢先に東日本大震災が発生した。

 工場のガラスが割れたり、一部の設備が壊れたりしたが、物理的な損害は最小限で済んだ。それよりも問題は放射能である。3月19日、枝野幸男官房長官(当時)が会見で「福島県内の牛乳から暫定規制値を超える放射線量が計測された」と発表した。

 その日の夕方に、仲介会社から電話がかかってきた。生キャラメルの飛行機への搭載を見合わせたいという。織田さんは、いま使っている原料は震災前に調達したものなので安全性の問題はない、と説明した。けれども、聞き入れられなかった。極めて事務的な口調で納品をキャンセルされた。