あぁ、また中国が外交上のチョンボをやってくれた。5月8日付中国共産党機関紙・人民日報が、「沖縄は日本により簒奪されたもの」であり、「琉球処分問題は歴史的に未解決」だと主張する中国社会科学院関係者の沖縄関連論文を掲載したのだ。

 同論文につき日本政府は直ちに抗議した。一方、日本国内には、鬼の首でも取ったように、「中国は沖縄に対する領有権を示唆した」と報じた某有力日刊紙記事は「誤り」などと解説する向きもあり、議論はかなり混乱している。

 今回はこのタイミングで「琉球問題」を持ち出した中国外交の是非について考えたい。

人民日報掲載論文の主張

 まずは、いつもの通り、問題となった論文の概要からご紹介しよう。本件は新聞掲載としては比較的長い論文だが、ポイントは概ね次の通りだ。

●1887年までに、曾紀澤・総理衛門大臣は塩田三郎・在中国日本公使に対し、琉球問題はいまだ解決していないと提起していた。しかし、日本側は既に琉球を所有しているとして、清国政府の態度を無視した。琉球処分問題は日中間の懸案の1つとなった。

直到1887年,总理衙门大臣曾纪泽还向日本驻华公使盐田三郎提出,琉球问题尚未了结。但日本已经把琉球据为己有,对清政府的态度就不管不顾了。琉球处分问题在中日之间成为一个悬案。

●(1885年から1895年までの間の)日本政府(琉球政府を含む)が釣魚島に「国標」を設置し、釣魚島列島を沖縄県に帰属させたことは、日本が琉球を簒奪し、また台湾を指向することと関連する。

(1885年—1895年之间)在钓鱼岛设置“国标”以及把钓鱼岛列屿划归冲绳县是与日本完成攫夺琉球并进而指向台湾联系在一起的。

●下関条約の締結により、清国政府は琉球問題を再度提起する能力を失い、台湾およびその付属諸島(釣魚島列島を含む)、澎湖列島、琉球は日本に奪われた。しかし、1941年中国政府は日本に宣戦布告し、「下関条約」を破棄した。

《马关条约》签订,清政府没有能力重提琉球,台湾以及附属诸岛(包括钓鱼岛列屿)、澎湖列岛、琉球就被日本夺走了。但是,1941年中国政府对日宣战,废除《马关条约》。

●その後、「カイロ宣言」「ポツダム宣言」は戦後の日本処理の規定を定め、日本の天皇はこれを受け入れた。これら規定を照らし合わせれば、台湾およびその付属諸島(釣魚島列島を含む)、澎湖列島を中国に返還するだけでなく、歴史的に未解決である琉球問題を再議できる時期が来ている。

随后《开罗宣言》、《波茨坦公告》做出了战后处置日本的规定,日本天皇接受了这些规定。依照这些规定,不仅台湾及其附属诸岛(包括钓鱼岛列屿)、澎湖列岛要回归中国,历史上悬而未决的琉球问题也到了可以再议的时候。