10年以上前のことになるが、ホンダの四輪車に部品を提供する1次サプライヤーの日本人経営者からこんな話を聞いたことがある。

 「そのうち中国では、金のハンドルをつけたクルマがスタンダードになるかもしれない・・・」

 成金趣味的な中国人の好みを反映させた、一種、皮肉混じりの市場予測である。世界人口69億人の5分の1以上を占める巨大な中国市場を掴もうとするならば、ここまでやるべきだ、という覚悟の表明と言ってもよい。

 単なる笑い話としてその場は終わったが、決して絵空事とは言えない。ひとたびこの13億人の市場が支持するならば、それが世界のスタンダードになってしまう可能性だってある。他の国ではあり得ないことが中国で標準になるとき、それは世界の価値観を凌駕するものになるのではないか──。笑い話の中に、そんな空恐ろしさを感じたものだ。

西洋モデルの導入から伝統回帰へ

 筆者は昨今の中国で、伝統という価値を非常に強く主張する傾向が強まっていることを感じる。

 身近な例で言えば、列を作らない、痰を吐く、大声で話す、信号を守らないなどの生活習慣が分かりやすい。これらは「七不」(7つの“すべからず”)として街角に看板が立てられているが、昨今上海でようやく「列を作る」ようになったことを除けば、改善の気配はあまりない。なぜならば、列を作らないのは彼らならではの合理性があるからであり、痰を吐くのは健康維持上の理由があるからだ。それらは一見してマナー違反であっても、中国人の伝統的な習慣であり、価値観でもあるのだ。

 政治という分野においても、伝統の主張は強く響くようになった。

 中国の政治に対する世界各国の共通する認識は「共産党による一党独裁」であり、批判的に捉えられている。だが、中国にはこう考える政治学者がいる。一党独裁こそが、西側先進国には達成し得ない理想的な政治制度であり、この中国モデルこそが新たな時代にあるべき標準だ──。

 1980年代以降、中国は政治、経済ともに西側の概念や手法を貪欲に吸収してきた。政治や経済において西側に追いつけ、が大きな目標だった。その一方で、「それらは中国独自のものではない」という感情がくすぶっていた。

 そして世界に君臨しようとする今、「西側先進国に学び、モデルを取り入れる」のではなく、中国古来の伝統論に回帰し、過去の歴史に「中国のあるべき政治モデル」を求め、それを現代に打ち立てようという考え方を強めているのだ。