安倍政権の下で、憲法改正論議が活発になってきた。今年の参議院選挙では、多くの政党を区分する大きなテーマになることが必至だ。

 私自身、憲法改正論議を大いにやるべきだと思うが、護憲派であれ、改憲派であれ、冷静で実のある議論をしてもらいたいと強く願っている。日本維新の会の共同代表である石原慎太郎氏のような、「憲法改正などという迂遠(うえん)な策ではなしに、しっかりした内閣が憲法の破棄を宣言して即座に新しい憲法を作成したらいいのだ。憲法の改正にはいろいろ繁雑な手続きがいるが、破棄は指導者の決断で決まる」などという乱暴で、実現不可能な空想論では話にならない。

 自民党の高村正彦副総裁がこの石原発言を「そんなこと言ったら未来永劫(えいごう)、改正できない。占領下で憲法が作られたことへの心情を言っているだけ。私は彼を政治家と思っていない」と痛烈に批判したのも当然である。

戦争の悲惨さが必然的に生み出した「護憲派」

 現憲法が、大日本帝国憲法を全面的に改正したものとして占領下で制定されたことは、まぎれもない事実である。そして、その内容は占領軍の中核を担っていたアメリカの意向が色濃く反映したものであることも事実である。改憲派は、このことを捉えて現憲法を占領下での「押し付け憲法」と批判し、自主憲法制定を目指してきた。確かにその側面があることは、否定しがたい。

 だが同時に、現憲法を多くの国民が歓迎したことも歴史的事実である。私は、1948(昭和23)年2月生まれだが、46(昭和21)年11月に公布され、47(昭和22)年5月に施行された現憲法の影響を受けて、私と同年代には憲法の「憲」という字を名前に付けた人が非常に多い。旧満州からの引き揚げ船の中で現憲法を読み、涙を流した人も少なからずいたという。

 1991年の満州事変から、1945年のポツダム宣言受諾まで15年間という長きにわたって戦争の時代を生き抜いた人々、多大な犠牲を払った人々にとって、「戦争をしない国」になったということがどれほど大きな喜びであったかは、容易に推察できる。

 護憲派は、戦争の悲惨さが必然的に生み出したのである。

「自衛権」を持たない異例の独立国家が誕生

 「9条の会」という護憲派の運動があるように、護憲運動とはいってもその中心は第9条を守ることである。