ノルウェーに行ってきた。何と言ってもノルウェーは、私にとっては作曲家エドヴァルド・グリークの国だ。グリークの曲は昔から大好きで、自分でも弾いたし、生徒にもよく弾かせた。

今は日本の2倍豊かな国、ノルウェーが生んだ大作曲家グリーク

 グリークの音楽には雄大な大地の拡がりがある。目を瞑ってゆったりしたテンポの楽章を聴いていると、自分が大自然の中にいて、広々とした緑の草原や碧い水を湛えたフィヨルドの絶壁が見えるような気がする。

ベルゲンのオペラハウスの前のグリーク像(筆者撮影、以下同)

 大自然と言っても、バルトークのような土臭さはあまりなく、ロマンティックで、しかも、少しメランコリック・・・。こう書いても、文字では何も伝えられなくてとてももどかしい。

 興味がおありの方は、グリークがイプセンのお芝居「ペール・ギュント」のために作った第1組曲の最初の曲「朝」とか、ピアノ協奏曲、ヴァイオリンソナタ第3番、あるいは、チェロソナタなどのそれぞれ2楽章を聴いてみていただきたい。素朴で清らかな気分が味わえると思う。

 グリークはベルゲンで5人兄弟の4番目として生まれた。ベルゲンはオスロに次ぐノルウェー第2の都市だが、今でも人口は26万5000人だから、グリークの生まれた1843年当時は、本当に小さな町だったはずだ。

 ノルウェーは、今でこそ石油のおかげで1人当たりの名目GDI(国民総所得)が世界1位(外務省・主要経済指標参照)、日本の約2倍という豊かさだが、石油が発見されたのはたった40年前の話だ。つまり、それまではとても貧しい国だった。寒くて穀物はあまりできず、主要な産業と言えば、漁業ぐらい。そういう国で、グリークは生まれた。

 15歳のとき、音楽の才能を認められてライプツィヒへ行き、同地の音楽院でピアノと作曲を勉強した。当時のライプツィヒは、ヨーロッパでも有数の音楽都市だった。

 すでに18世紀、バッハは聖トーマス教会の音楽監督に就任していたし、19世紀の初めには、ゲヴァントハウス管弦楽団でメンデルスゾーンが首席指揮者を務めていた。シューマンはライプツィヒでこの町出身のクララを見初め、ワーグナーもここで生まれ育った。その他にも大勢。とにかく、ライプツィヒと縁のない音楽家を見つけるのが難しいほどだ。

グリークが暮らし、今も崖に穿った墓に眠る「トロルの丘」

トロルハウゲンのグリークの家

 グリークは、その後、コペンハーゲンを経て再びノルウェーに戻り、作曲家、およびピアニストとして活躍するが、1885年、妻のニーナと共に、ベルゲン近郊の新居トロルハウゲンに移る。グリーク自身が、丹精込めて設計した家である。

 トロルとは、ノルウェーの伝説に出てくる森の小人の妖精で、トロルハウゲンは「トロルの丘」。当時は自分の所有地に名前を付けることが流行っており、トロルハウゲンはニーナの命名だが、グリーク自身、身長が152センチととても低く、トロルのようだった。