ドイツニュースダイジェスト 15 Februar 2013 Nr.948

日本人が立ち上がろうとしているのだから、僕も立ち上がらなければ
Thomas Kohler(トーマス・コーラー)
 

 スイス出身。旅行代理店経営者。職業専門学校家具デザイン科卒。木工修復業に携わりながら、日本語を学ぶ。30歳で日本へ渡り、1年半滞在。帰国後は旅行業界に転職。2007年よりプライム・トラベル社の日本担当。2011年の東日本大震災後、仕事を失う。同年、日本列島を徒歩で縦断。帰国後旅行代理店「japan-ferien.ch」を立ち上げた。

 2011年3月の東日本大震災後、スイスの旅行代理店の日本担当だったトーマス・コーラー(45)は職を失った。しかし、その後の彼の行動は日本人を力付け、日本への旅行客は戻ってきた。復興を願い、巡礼者のごとく徒歩で日本を縦断した彼を追ったドキュメンタリー映画「negative: nothing(全てはその一歩から)」が、昨年秋から東京やスイス各地で上映されている。

日本に行かなければ

トーマス・コーラー氏

 トーマスは、ベルリンっ子の父とスイス人の母の下、チューリッヒ近郊の町ヴィンタートゥアで生まれ育った。7歳の時、クラスに横浜で生まれ育ったスイス人の男子転校生がやって来た。

 「その子にとっては日本が故郷でね、いつも日本に帰りたいと言っていたよ」。トーマスは彼から日本の話を聞くのが何よりも楽しみだったと言う。最初の「日本」との出会いだった。

 ティーンエイジャー時代は音楽に没頭。クラシックギターにのめり込み、ギター職人を夢見るが、スイスには養成の場がない。そこで、木工職人である父の助言に従い、まずスイスで木工職人になり、ドイツへ行ってギター職人に弟子入りしようと考える。

 だが、修業中にその夢は色褪せていった。兵役を終えると、職業専門学校の家具デザイン科を卒業。1年間にわたり、南アフリカでスイス企業向けの内装業に従事した。

 スイスに戻ると、「日本に行かなければ」いう切実な思いが募り始めた。でも、日本に行くなら日本語をある程度習得してから行こうと決意。でなければ、日本の文化を深く知ることは無理だと思ったのだ。

 トーマスは木工製作所に就職し、主に修復や復元の仕事をしながら、週に2回、市民大学(VHS)の夜間の日本語コースに通った。2年が経ち、片言の日本語が話せるようになった頃、日本行きの計画を立て始めた。

30歳で初めて日本の土を踏む

 30歳の時に辞表を出し、日本へ向かった。単なる旅行にはしたくなかった。最初の4カ月は、当時埼玉県深谷にあった渋沢インターナショナル・スクールに通った。

 身体を動かすことが好きで、以前からマラソンをしていた彼は、アウトドアを楽しみながら勉強ができるようにと、地方の学校を選んだのだ。

 滞在の後半は旅をした。「最南端から最北端へ行こうと思い、沖縄県の波照間島を起点に北海道の宗谷岬まで行った」。日本滞在は1年半に上った。