昨年暮れは、ロシアの大学教育制度の重大な危機が露見した。2012年11月、モスクワ国立大学の言語学部のウェブサイト上に、教育制度改革に対する不満に満ちた特別陳情書が掲載された。

 陳情書はロシアの「人道的な惨劇」と呼べる状況について説明しており、学部の主な教授が全員署名していた。

陳情、ストに踏み切る教授や学生

プーチン氏、ロシア大統領に就任 4年ぶりの復帰

学生や教授の叫び声はプーチン大統領に届いているのだろうか?〔AFPBB News

 同じ11月にウラジーミル・プーチン大統領に宛てた特別陳情が国立芸術学大学によって始められた。「人文科学の破壊を止めろ!」というのが陳情書のタイトルだった。

 新年を間近に控えた12月下旬には、モスクワにある国立貿易経済大学の学生と教授陣が、別の大学との統合に反対する抗議の一環としてストに踏み切った。

 実際、2つの大学の統合は教育省の認可を受けた措置であり、同省は最近、モスクワの「見込みのない教育機関」のリストを公表していた。このリストによると、一部の教育機関・大学は閉鎖され、一部は「有望な」大学と統合されるという。

 本稿では、特定の活動や出来事ではなく、ロシアの大学の代表者たちを抗議やストに駆り立てることになった制度上の危機について論じていきたい。

 教育制度の危機は決して予想外のことではなかったし、突然生じたわけでもない。実際、ロシアの大学教育制度はソ連体制が行き詰まった1980年代からずっと疲弊してきた。そしてソ連崩壊で社会主義に関係した良いことと悪いことの多くが劇的に変わった。そうしたドラスチックな変化が起きた1つの分野が大学教育制度だった。

ソ連崩壊後に地に落ちた「教職」の地位、優先されるのは市場経済

 政府が教育に対する温情主義的な支援を断つと、職業としての「教職」は報酬の低い仕事になり、名誉ある職業と見なされなくなった。1990年代には、卓越した教授や数の限られた専門家を含む大学教授の大半が100ドル程度の月給しか得られなかった。

 それでも高い教育はキャリア形成に役立つという理解から、2000年初頭以降、状況は少しずつ改善してきているし、市場には新たな職業がいくつも誕生している。