昭和の大横綱大鵬が逝った。史上最多、32回の優勝をはじめ、その偉大な業績は今さら語るまでもないが、6連覇を2度達成、それも1度目と2度目の間が4年、という息の長い強さが目を引く。

 とは言っても、敵となる存在が全くいなかったわけではない。横綱に同時昇進した好敵手柏戸がいたからこそ「柏鵬時代」と呼ばれたわけだし、1966年春場所から始まる2度目の6連覇の時など、4横綱の群雄割拠時代だったのである。

007の映画で見られる昭和の名横綱たち

 そんな当時の様子を伝える映像として007シリーズ唯一の日本ロケ作『007は二度死ぬ』(1967)をご紹介したい。

 ジェームズ・ボンドが日本にやって来て最初に向かった蔵前国技館の支度部屋でのシーン。情報仲介役の横綱佐田の山とボンドが会話を交わす。そのかげには、四股を踏む柏戸と若い衆に綱を締めさせる大鵬という2横綱の姿が見える。

 欧米人にはただの相撲取りでしかないこの映像は、日本人にとっては時代の空気を感じさせるもの。ただし、撮影の行われた1966年夏から秋、引退直前で休場中だったためか、もう1人の横綱栃の海は見当たらない。

 その後、ボンドは日本人ビジネスマンのオフィスへと向かう。見覚えのあるその建造物は真新しいホテルニューオータニ。さらに「トヨタ2000GT」によって繰り広げられるカーチェイスの背景には、駒沢オリンピック公園、代々木第一体育館などが見える。

 ホテルニューオータニは東京オリンピックの外国人客受け入れ施設という位置づけだったものだし、どれもオリンピックのための建造物ばかりである。

 大会が終わって2年も経たない頃の全世界がターゲットのブロックバスター映画だから、東京のイメージとして分かりやすかったのだろう。

 駒沢オリンピック公園は、オリンピック第2会場としてあの東洋の魔女たちが激闘を繰り広げたところだが、1940年の幻の東京オリンピック会場予定地でもあった。

 そして、1954年竣工した駒沢野球場があったところでもあり、それは、山本八郎、張本勲、土橋正幸といった「駒沢の暴れん坊」と呼ばれる型破りな選手たちが活躍する東映フライヤーズのホームグラウンドだった。