改革とは既存体制へのチャレンジである。いかなる改革者も、既存体制が存続できるものであれば、改革にチャレンジなどしないはずである。なぜならば、改革の成果はすぐには表れない。短期的に改革は不利益や弊害をもたらす場合が多いからだ。外科手術に置き換えれば、患者の患部を切ってすぐには元気にならないのと同じである。手術をして療養することで初めて元気になるのだ。改革も同じである。

 哲学者ヘーゲルは「合理的なものは存在し、存在するものは合理的である」と述べている。そう考えれば、既存体制にいかなる問題があっても、存在する合理的な側面があるはずである。改革者がその不合理な部分を改革しようとした場合、既存体制から抵抗されるのは当たり前のことであろう。

 あと1カ月あまりで、中国の習近平新政権が正式に選出され誕生する予定である。国民の間で、習近平新政権の改革意欲に対する期待はにわかに高まっている。

 どのような手順で改革を進めるかは改革者次第だが、とにかく腐敗した政治を正常に戻し、安心した生活を送れるようにしてほしいというのが国民の期待である。

 換言すれば、社会主義中国が成立してからの六十余年、前半の毛沢東時代はいわば地獄だった。後半の鄧小平時代では、国民はようやく豊かになれると期待して、鄧小平が推進する「改革開放」政策を支持した。しかし、国民の多くは期待を裏切られた。彼らは改革と経済成長の果実を享受できないでいる。

「民主主義こそ人民を解放する」と唱えていた共産党

 1945年、第2次世界大戦が終戦を迎えると、その直後から政権を握る国民党と政権を狙う共産党は内戦に突入した。4年間にわたる内戦の結果、国民党は全面的に敗退し、共産党は台湾を除く中国全域を制覇した。

 国民党が負けた背景には、行政府から国民党軍まで完全に腐敗してしまっていたことが挙げられる。その結果、人心は完全に国民党から離れていったのである。

 それに対して、毛沢東が率いる共産党は「我らこそ人民の利益を代表し、人民を解放する」と唱え、徐々に人心を引き付けた。当時、共産党系の新聞「新華日報」などは毎日のように、「独裁政治は必ず腐敗し、民主主義こそ人民を解放することができる」といった論説や社説を発表していた。共産党のこうした主張に、一般の国民だけでなく大学教授などの知識人も希望を託した。中国の歴史学者によれば、これまでの100年間で、1950年代初期の数年間は中国社会が最も希望に満ちた明るい時代だったと言われている。

 しかし、政権を手に入れた毛沢東はすぐさま手のひらを返すように約束を破った。すなわち、国民党時代以上に毛沢東は独裁へと走っていった。それでも人民の大半は愚かだった。というのは、毛沢東が絶対に自分たちを幸せにしてくれると信じていたからである。