予想外の胡錦濤完全引退によって、習近平が中国共産党と人民解放軍のトップの座を同時に手に入れ、名実ともに習近平時代の幕が開けた。
2013年3月の全国人民代表大会(国会に相当)で、国家主席の座も胡錦濤からバトンタッチされるのは確実な情勢であり、そうなれば、習近平が党・軍・国家のすべての権力を一手に握ることになる。
胡錦濤にとって「党中央政治局常務委員会」の人事は皮肉な結果に終わった。従来の9名の枠から2名を減らし、7名の体制にしたのは胡錦濤の意向だったはずだ。2002年に江沢民が引退する際に、自分の影響力を残すため、常務委員の枠を2名増員し、イデオロギー担当と政法委書記を常務委員会入りさせ、江沢民派で押さえた経緯がある。この増員分をなくし、7名として胡錦濤に近い李源潮、汪洋を常務委員に押しこむことによって、習近平に代表される太子党や江沢民派に拮抗しようとする狙いがあった。
だが、結果は皮肉なものとなった。9名から7名への削減は実現したものの、李源潮、汪洋の2人は政治局委員に据え置かれた。結果として、常務委員に留任した李克強を除く6名は太子党・江沢民派によって占められてしまった。
2007年の第17会党大会で胡錦濤が李克強を自分の後継者にすることができなかった事実と重ね合わせると、胡錦濤の「詰めの甘さ」が際立つ結果となった。
過去の昇進ケースを踏襲しない中央軍事委員会の人事
「党中央政治局常務委員会」の人事で苦杯をなめる結果となった胡錦濤は、しかしながら「中央軍事委員会」人事では江沢民の影響力を一掃し、かなりの程度まで独自色を出すことに成功したように見える。
実際、党大会直前に、北京の西長安街にある革命軍事博物館の東側にそびえる中央軍事委員会メンバーの執務室などが置かれている「八一大楼」から、江沢民の執務室が撤去されたという報道があった。2004年に引退したはずの江沢民が執務室を依然として持っていたことは「さもありなん」という印象だが、それが撤去されたことで江沢民の影響力が排除され胡錦濤が人事の主導権をとったということが分かる。
しかし、新たな中央軍事委員会メンバーの陣容が、党大会前に報じられたことも異例だった。
従来は党大会後の中央委総会が終わってから公表されてきたが、今回は10月下旬に副主席1名、4総部(総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部)のトップ、さらに空軍司令員の人事が明らかにされ、その後、第二砲兵部隊司令員人事が続き、11月に入り党大会直前の17期7中全会でもう1人の副主席人事が報じられ、唯一の留任人事だった海軍司令員については党大会終了後も報じられなかった。こうした「五月雨(さみだれ)式」の人事発表は異例中の異例だろう。