最後にようやくリーダーシップを発揮した。
2010年6月2日、鳩山由紀夫首相が緊急開催された民主党の両院議員総会で退陣を表明した。その際、小沢一郎幹事長に辞任を迫ったことを明らかにし、「小鳩」刺し違えで党の再生に道筋を付けた。政界の名門に生まれ育ち、「家業」とする政治の重圧に耐えきれず、最近の鳩山氏は目が泳いで疲労の色を濃くしていた。退陣表明の後は久しぶりに人懐っこい笑顔が戻り、15年前の「鳩山番」記者時代を思い出した。
1995年4月、筆者は時事通信社の経済部から政治部へ「出向」、村山政権下で連立与党の一角を占めていた新党さきがけの担当になった。当時の鳩山代表幹事には毎日のように接し、地元の北海道をはじめ地方遊説にも同行した。
鳩山氏は当たりが柔らかく、育ちの良さを周囲に振りまいていた。取材対応も実に丁寧であり、中でも「政治家にオフレコなし」と言い切り説明責任を大切にする点を筆者は評価していた。
鳩山氏は酒が好きだが、飲みながらの懇談では記者たちが天下国家を語り、主役のはずのセンセイがもっぱら聞き役に徹することもあった。常に人の意見に謙虚に耳を傾ける姿は今も忘れられない。
だが、鳩山氏から政治家としての哲学や政策ビジョンを聞き出すのは困難を極めた。「友愛」に代表されるように美辞麗句でかわされてしまい、「このセンセイは何を考えているんだろう。もしかして、何も考えていないのか・・・」と不安に感じたこともあった。
ポスト・イデオロギー時代の「顔」で首相に就いた鳩山氏
逆説的になるが、そんな鳩山氏だからこそ55年体制崩壊後の首相の座に就いたのだろう。