前回に続き、福山哲郎参議院議員へのインタビューの様子をお届けする。福山氏は3.11当時、首相官邸で官房副長官を務めていた。

 前回のインタビューでは、原発事故発生時に、官邸と「専門家」、東電の間のコミュニケーションが体をなさず、住民避難がどんどん後回しにされていく様子が明らかになった。今回は「オフサイトセンター」や「SPEEDI」といった、いざというときに備えて用意されていたはずの施設や仕組みがなぜ機能しなかったのかを聞く。

無理があったオフサイトセンターの基本設計

──原災法では、原発事故のときには「オフサイトセンター」を司令塔に想定しています。関係者が集まって情報を共有するのは原発から5キロの大熊町にあるオフサイトセンターであり、官邸は本来、後方基地のはずです。そういう意味では、まずオフサイトセンターが機能しなかったところから、最初のつまずきがあるような気がします。事故当時そのことは認識していましたか?

福山哲郎氏(以下、敬称略) 「オフサイトセンターの議論はよくあります。が、メルトダウンするかもしれないと避難している最中に、5キロメートル地点に各々集まれと言う方が無理ですよね。ましてや電源や通信が途絶えている状況の中で、どうやって連絡を取って各担当者を集めるのか」

 「避難道が渋滞の中、対向車線を1台だけで逆走して、福島県副知事はオフサイトセンターに向かっていました。非常な勇気が必要だったと思います。が、現実にはオフサイトセンターは停電のため、機能していなかった。周辺立地市町村も、1つだけしか参加できなかった」

──私はオフサイトセンターが機能しなかったことを非難しているのではありません。そもそも、原発から5キロのところに前線本部があるという基本設計に無理があったのではないですか。

福山 「そういうことです。今回のように複合的な原因で原発が電源を喪失するリスクを、もともと想定していないんです。原発でトラブルがあったとしても、オフサイトセンターに集まって、そこでじっくり対処方針を決めてやればよいという前提になっている。だから、5キロメートルという非常に原発から近い場所に、オフサイトセンターを置くという発想になるわけです。そもそも全電源が喪失するということを考えていない。モニタリングポストが全部やられるなどということは全くのナンセンスです。そこが停電することを想定してないわけですから」

──オフサイトセンターそのものがダウンしてしまったので、首相官邸がその機能まで引き受けることになったと理解してよろしいですか。

福山 「我々自身が、直接官邸がその役割を引き受けたという認識でやっていたわけではありません。もちろんオフサイトセンターが動いていないということは分かりますが、それよりもう少し大きい議論です」

──それはなんでしょう? 大きい議論とは?