我が国が北方領土返還を求める根拠としてよく説明に使う言葉に「歴史的に見て、我が国固有の領土である」というものがある。確かに、択捉、国後、歯舞、色丹の諸島は、太平洋戦争終結前後に旧ソ連が占領する以前は、一度も外国領土とはならず19世紀の日露交渉の中でも争いなく「日本の領土」と相互承認されてきた。

 しかし、事実は事実としても、説得力ある根拠として「固有の領土」を挙げるのは、欧米の人々にピンとこないようだ。というのは、ヨーロッパは中世から近代、そして20世紀半ば以降に至るまで、国境線(民族国家が形成された上での)はずっと同じところに固定されているものではなく、紛争や周辺諸国との力関係で変動するものだからだ。

 そもそも現存する国家そのものが、ある時代にはまるまる他国領土内に組み込まれていたりするし、国境を挟んだ両方の地域にほぼ同一の民族(使用言語が共通である)が分布したりもするので、海で区切られた国境線しか持たない日本とは全く違った歴史的・地理的条件が背景にある。

 一方、アメリカ合衆国は独立から二百有余年の若い国で、19世紀までに至る最初の100年間は他国に植民地化された地域や隣国領土、先住民の支配地域を併呑し東海岸から西海岸、さらには南方に向かって開拓と軍事力行使により現在の国土を獲得した。つまり自ら、国境線を広げていったのだ。

 欧米の領土と国境とは、かように日本人が自国について認識するそれとは、歴史的形成過程からして異なるものとなる。欧米人は、歴史的に変遷してきた国境によって画定される領土が「固有」だという概念に絶対的意識など持たない。

 だから、日本の領土主張に国際的なコンセンサスを広げるためには、相手側の歴史体験と認識構造を踏まえた説明を考える必要がある。竹島や尖閣諸島をめぐる韓国、中国との紛争が時に表面化する際、日本が味方を得るべきところに欧米先進諸国を外せないので、大事な視点だ。

 同時に、島という領土形態、海という一種の「移動障害」を伴った国境ではない陸続きの国境を巡って欧米諸国は日本では考えられないくらいの領土・国境紛争を経験してきており、その処理については学ぶべき教訓も豊富だ。

 とかく、特定国と自国との間の利害や主張の違いのみに着目しがちな領土・国境問題を考える際、特にヨーロッパでの過去の歴史的経験を繙(ひもと)くことは有益なのではなかろうか。