「福島第一原発の見える街・双葉町」からの報告3回目を続ける。

 双葉町に行ったら、この目で見ておきたい場所が2つあった。1つは言うまでもなく双葉町にある福島第一原発である。これまでに20キロゾーン(立ち入り禁止区域=警戒区域)に入るたびに、できるだけ近くにまで行ってその姿を見ようとしてきた。自分の線量計で放射線を測ろうとしてきた。だが実現しなかった。案内してくれた人が怖がったことがある。あまり動き回ると警察に見つかって逮捕される恐れもあった。

 これまで被災地を歩き、避難民を訪ね回って思った。これだけの破滅的な災厄をもたらしたモンスターは、一体どんな姿をしているのだ、と。

 もう1つは「双葉厚生病院」だ。原発から3キロのところにある、農協系の病院である。

 ここは3月12日午後3時、双葉町から避難する最後の人たちが出発したところである。その最中に1号機の水素爆発が起きた。テレビで映像の流れた最初の爆発だ。そのとき、この病院にはまだ入院患者や医師、病院職員など300人くらいがいた。井戸川克隆町長も、その場にいた。「ズンという音がして、数分後に白いぼたん雪のようなふわふわした物体が降ってきた」。町長は私とのインタビューでそう言っていた。「死の灰」が降ったのだ。そしてなすすべもなく、町長もその降下物を体に浴びた。そう言っていた。

 偶然だが、井戸川町長たちが脱出した翌日の3月13日、フォトジャーナリストの広河隆一さんたちが無人になった双葉町に足を踏み入れ、厚生病院にも到達している。そこには、住民が避難した直後のまま、入院患者をバスに運んだ可動式ベッドや車椅子、点滴台が駐車場に散乱していた。その映像がYouTubeに残っている。

 その場所や原発との位置関係を、確認しておきたかったのだ。「死の灰を浴びた」という重大な井戸川町長の証言を聞いて、私は「その場に行って、確かめたい」という思いがますます強くなった。

病院の周りに大量に散らばっていたもの

 「双葉厚生病院」に着く前に、すでに私は憂鬱な気持ちになっていた。草木が伸び放題で、地震で崩れた家や商店がそのままの街並みを車で走るうちに、何が自分を待っているのか、だいたい予想がついたからだ。

 鉛色の空の下にベージュ色の建物が見えてきた。手前に広い駐車場のある、3階建ての平べったい建物だった。

 広河氏の撮影したビデオで見た建物だった。

 車を降りた。正面玄関に近づく。

 どこかビデオで見た風景と違うことに気づいた。割れ目という割れ目から雑草が生え出し、空に向かって伸びている。動画の通り軽四輪が数台止まっているのだが、近づいてみると泥だらけで、下には土がたまっていた。舗装は荒れてザラザラだ。冬を越した雑草が茶色く枯れ果てている。自転車置場では自転車が倒れ、そのまま錆び付いている。そんなせいで、風景が全体に茶色にすすけている。