マスコミの注目がロンドン五輪に集まり始めた7月24~25日の両日、米国の国家安全保障担当トマス・ドニロン大統領補佐官が「静かに」訪中した。キッシンジャー補佐官訪中以来の伝統なのか、派手なセレモニーや記者会見の少ない、極めて実務的な訪問だった(ドニロン訪中についてはニューヨーク・タイムズの記事がよくまとまっている)。
これに対し、中国外交部は7月20日、ドニロン訪中にタイミングを合わせたように米中関係に関する本格的な政策論文を発表した。著者は崔天凱と庞含兆の2人。前者は外交部の現職副部長、中国外交部随一の米国専門家であり、前駐日中国大使でもある。
同論文は中国の対米政策を公式、詳細かつ包括的に記した最も直近の文書だと思うが、オリンピック報道のためか、日本ではあまり注目されなかった。本コラムでは何度か米国の対中政策を取り上げてきたが、今回は崔天凱論文の行間から中国の対米「本音」を検証する。(文中敬称略)
中国公式文書の読み方
崔天凱論文を読む前に、筆者なりの中国公式文書の読解法をご紹介したい。
振り返れば中国に在勤した足かけ4年間、中国の要人が重要事項を原稿なしのアドリブで語った記憶はほとんどない。なるほど、良くも悪くも中国は官僚国家、重要発言は必ず文書に残すものだと納得した。
いかなる公式文書でも、書く側は推敲に推敲を重ねる。論文が重要であればあるほど、建前と本音を含むすべての政治的要素が勘案される。建前のロジックを昇華させる一方、密かに本音を行間に鏤めていく。何人もの幹部の決裁を経て、ようやく最終稿が確定する。
ここまでは他の国の官僚組織と大きく変わらない。中国が他と異なるのは次の3点だ。
(1)冗長でやたらと「くどい」
1回の説明では不安なのだろうか、大事なスローガンは何度でも執拗に繰り返す。この種の退屈な文章を定期的に勉強させられる中国共産党員にはいつも同情を禁じ得ない。
(2)「○○であるべし」と書く場合、実は真逆の現象が起きている
例えば、「米中関係は相互信頼に基づくべし」とあれば、実際は米中間が相互不信に満ちているということ。そう考えれば、多くの場合、辻褄が合うから不思議だ。
(3)ロジックが自己中心的で客観性に欠ける
自由な言論による客観的検証を求められない「権力者」が作る文章は往々にして「ジコチュウ」だ。苦しい理由づけの多くは中国側ロジックが破綻していることの証明でもある。