1970年代の末、3度目の復権を果たした鄧小平は「改革開放」政策を推し進め、計画経済による経済運営に終止符を打ち、市場経済への制度移行を始めた。経済の自由化を推し進めた結果、中国経済は活性化し、著しい発展を成し遂げた。

 しかし、鄧小平は1997年死去するまで、社会主義の看板を下ろさず、共産党の一党独裁を堅持せよと後継者らに指示した。ハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授は「鄧小平は正真正銘の共産主義者である」と指摘している。

 とはいえ、リアリストの鄧小平が、共産党の一党独裁と市場経済への制度移行が折り合わず対立することを知らないはずはない。共産党による統治は短期的にはやむを得ないとしても、民主主義の政治改革を行わなければならないのは自明の理だ。

 そもそもマルクスによって提唱された社会主義・共産主義は旧ソビエトや中国などで実験されてきたが、制度設計ができていない。ソビエトでは、レーニンは革命にこそ成功したが、共産党政権樹立後に権力を握ったスターリンは社会主義の信奉者というよりも独裁者となり、ファシストだった。

 一方、中国では、農民出身の毛沢東が直面したのは、社会主義の制度設計よりも、2000年以上も続いた封建社会の中国をいかに近代化させるかという難題だった。結局、毛沢東自身も封建社会からの脱皮ができず、中国社会の最後の皇帝となったのである。

 鄧小平の「改革開放」政策は社会主義の非現実性を認識しながら、市場経済の要素を取り入れ、経済発展を目指したのである。三十余年にわたる「改革開放」政策は政治改革をタブーとし、経済改革のみ行った。

制度設計はいまだに不完全、社会では格差が深刻化

 ソビエト連邦が崩壊したことから、社会主義体制がこのままでは存続できないことは明白である。中国は社会主義体制の看板こそ下ろしていないが、その中身はとっくに変質してしまった。

 中国共産党は「改革開放」政策の神髄について、社会主義市場経済の構築を唱えている。だが、社会主義市場経済の定義を明らかにすることができない。少なくとも、今の中国の社会体制は、マルクスが提唱した社会主義体制ではない。

 「改革開放」政策以降の制度変更は市場経済のエレメントを部分的に取り入れることだが、国家全体の制度設計はいまだに行われていない。

 鄧小平は自らが進めた改革について「渡り石を探りながら川を渡る」ようなものと喩えている。また、国民の働く意欲を喚起するために、一部の人が先に豊かになるのを容認するいわゆる「先富論」が打ち出された。