カンボジアの首都プノンペンから北西に約300キロ。100万人を超える人口を抱えるバッタンバン州は、カンボジア国内でも有数な人口・面積規模を誇っている(注:2008年国勢調査で人口102万4663人)。

 その州都バッタンバンは、プノンペンからタイを結ぶ国道5号線の中継点に位置する。

 ベトナム(ホーチミン)=カンボジア(プノンペン)=タイ(バンコク)、の3カ国(都市)をつなぐ陸路の大動脈「大メコン経済圏(GMS)南部経済回廊」の、カンボジアにおける要衝でもあり、今も昔もカンボジアではプノンペンに次ぐ第2の街と言われる。

 バッタンバン州は19世紀まで長くタイの占領下にあった。

ポル・ポト政権最後の抗戦地

バッタンバン市内中心地。市内のランドマークタワー的な位置づけであるナッ・マーケットの時計台(著者撮影、以下同)

 20世紀初頭、カンボジアを植民地化した宗主国フランスが仏領としてタイから奪取。その後の第2次世界大戦中に再びタイに併合されたが、戦後にまた再びカンボジアに返還された。

 フランス、カンボジア、タイによる三つ巴の領土争いに翻弄され続けた地域だ。

 またバッタンバンは、1970年代後半のいわゆる“ポル・ポト大虐殺”の歴史で悪名高いポル・ポト政権(クメール・ルージュ)が、その末期にベトナム軍の追撃に最後まで抵抗した抗戦地としても知られている。

 このように近代史の観点から眺めると、カンボジアの波乱と悲劇の歴史を象徴するかのようなバッタンバン州だが、昨今注目を集め始めたカンボジア農業の観点からすれば、バッタンバン州はカンボジアを代表する一大穀倉地帯という側面を持つ。

 州全体で約120万ヘクタールの土地面積のうち、約40万ヘクタール(東京都面積の約2倍)の肥沃な耕作地帯を有し、コメ、野菜、果物の豊富な生産量を誇る。

 特にコメについては、約32万ヘクタールの稲作面積を有するカンボジア随一の米作地帯(Rice Bowl)だ。バッタンバンで栽培される“香り米”は、その香りの高さと美味しさで知られ、国内ではカンボジア他地域産米に比べて高値で取引されている。

バッタンバン市内から30キロほど離れた肥沃な米作地帯。3期作可能なエリア

 以前の記事『世界の食糧危機解消に名乗りを上げるカンボジア』(5月17日付)で、カンボジアのコメ輸出量について、米農務省(United States Department of Agriculture)とカンボジア商業省(Ministry of Commerce, 以下MoC)の公表データに極端に大きな違いがあることを述べた。

 MoC発表の統計によると、2010年のカンボジアからのコメ輸出量合計は約10.5万トン。

 一方、米農務省が発表する世界のコメ輸出量(国別)データには、カンボジアが120万トン(2010年)の輸出国と記載されている。