のっけから私事で恐縮だが、日本の家族が初めてパリを訪ねてきてくれたとき、空港からパリ市内へ向かう車中で、しきりに感心していたのが落書きだった。
高速道路の壁、歩道橋、道端の建物・・・。
どうやってあんなところまで登ったんだろうと、想像をたくましくさせる場所にまでこれ見よがしの落書きがしてある。その風景が旅の第一印象だったらしい。
パリといえば、世界に冠たる芸術の都。なのに、最初に感心されるのがコレか・・・と、わたしはいきなり拍子抜けした。
とはいえ、落書きはむしろ新しいアートと見なされ、数年前にはパリのカルティエ財団で、落書き、いやグラフィティをテーマにした展覧会が催されたりもしたほどだし、この分野から有名なアーティストが誕生してもいる。
そう思えば一概に毛嫌いするものでもないのだが、電車の座席や窓が、アートとは言いがたいような落書きでしばしば汚れていたりするのは、やはり気持ちのいいことではない。
聞くところによれば、メトロの車両の落書きや故意による損傷を修繕するために、パリ市交通局(RATP)は年間に1億円ほどを費やしているというのだから、落書きとのいたちごっこも、ばかにならない。
そんななか、起死回生打とも言えるかなり思い切った試みが先ごろ発表になった。それは、特に評判の悪いパリ郊外線(RER)の車両をかのベルサイユ宮殿に変身させるというもの。
5月16日からは実際に、「ベルサイユ列車」が一般の列車と同じように乗客をのせて走っている。
列車がベルサイユ宮殿とは、いったいどういうことなのかといえば、例えば、宮殿内部の装飾で最も有名な「鏡の間」の壁、天井などの図像を車両の内側の壁や天井のサイズに合わせて構成し直した意匠を、プラスティックのフィルムに写し取って貼り付けるというもの。
電車の座席に座ると、まるで小ぶりの「鏡の間」の中央にいるような、と言ってはいささか大げさだが、視界360度すべてが「鏡の間」のイメージで囲まれる格好である。
モチーフはこのほかにも、「戦闘の間」「プチトリアノンの王妃の間」「ルイ16世の図書室」など、宮殿と庭の見どころのいくつかが選ばれている。