今回は前回に引き続き、本稿の主テーマであるカンボジア情報から少し離れ、筆者が5月初頭にヤンゴンを初訪問した体験記を、ミャンマー訪問記(後篇)としてお伝えしたい。
昨年中旬あたりを皮切りに、日本大手企業のミャンマー進出話が、日本経済新聞などの主要経済紙を賑わし始めて久しい。
大手商社各社はもちろんのこと、金融業界からは大和証券が東京証券取引所と組んでミャンマー証券取引所の支援に乗り出し(覚書をつい先だって5月末に交換)、航空業界からは全日本空輸(ANA)が年内にも12年ぶりに定期便の再開を目指す。
自動車業界からは、いすゞ自動車が今年度内にもトラック生産を開始するだけでなく、日野自動車や三菱ふそうトラック・バスも現地生産を検討、トヨタ紡織も自動車内装品の現地生産を検討している。
コンビニ業界からはローソンとミニストップが、いきなり年内にも1号店を出すとのリリース。その他諸々、各業界からの日本代表選手オールスターチームさながら、ミャンマー進出に大手日本企業各社がこぞって名乗りを挙げている。
新聞発表された以外にも、“国策型”重厚長大企業グループの大名行列が先月ミャンマー行脚したとも噂され、まさに“国を挙げてのミャンマー祭り”の様相を呈している。
中国やタイなどミャンマー投資先行組には(いつものことながら)既にかなり後れを取ってはいるものの、「視察や調査には何度も来るが、ことが決まるには何年もかかる」という、アジア全域でほぼ定着している“なかなか動かない日本企業”のイメージを十分払拭できそうな素早い動きにも映る(各紙の記事が先走りしていなければ、だが)。
各企業が本当に自社判断のみで動いているのか、国策的な圧力(“ガイアツ”含め)による煽動は皆無なのか、興味は尽きないが、本稿ではそこに深入りしない(1回行っただけで実際よく知らないので深入りできない)。
これら日本の“国家戦略的ミャンマー詣で”は、カンボジアで小事業を営む筆者などにとっては遠い空の彼方の出来事だが、多少なりとも影響があるとすれば、彼ら千客万来のおかげで交通宿泊コストが大きく跳ね上がるかもしれない、ということだ。
海外に門戸を開いたばかりのミャンマーでは、大挙して押し寄せる外国人の受け皿となるだけのホテルの絶対数が足りないと言われる。選択肢がないため足元を見られ、中の上レベルのホテルであっても1泊200ドルは下らないとも聞いていた。