ニッケイ新聞 2010年3月30日、4月3日

 私達が住む「ブラジル」が現在のような多文化が入りまじった形になったのは、どのような経緯からか。移民はその文化形成にどんな役割を果たしているのか。そして、ブラジル文化は世界にどのような影響を与えているのか。

 座談会はこれらをテーマにして、ブラジル文化に詳しい岸和田仁(ひとし)さん、ポルトガルに駐在歴のある小林雅彦さん、モザンビークに3年いた中山雄亮さんの3人に参加してもらい、深沢正雪編集長が司会をして1月31日にニッケイ新聞社内で行なわれた。

 ポルトガルのポ語との違いについての興味深い指摘から、イタリア移民が及ぼした食やノベーラへの影響、さらにアフリカのポルトガル語圏諸国の文化についてまで縦横無尽に話題は展開した。ここでは各人の役職とはいっさい関係なく、個人的な意見や体験、思いをざっくばらんに語ってもらった。(編集部)

第8回 イタリア移民が多いのに、なぜ麺はアルデンテでないのか

深沢 イタリア移民は、1875年から第一次世界大戦までの間にブラジルに150万人くらい入ったと聞きました。その多くがサンパウロ州に入ったので、特にここはイタリア移民の影響が強いんですよね。

岸和田 まあ、イタリアでも南部から来た人と北部から来た人がいて、微妙に文化が違う。そして相対的人口比で言ったら、エスピリトサントがイタリア系人口の割合が一番高い。サンパウロじゃないんですよ。

深沢 そうなんですか。

岸和田 あくまでも相対的な割合でみれば、の話です。でも、絶対数ではサンパウロが断然多い。どちらかというと独立自営小農として入ってくるのが、北イタリアの人達で、エスピリトサントとリオ・グランデ・ド・スルに入った。

 だから、そこでは大きなファゼンダって言うよりも、「農村」を形成している。

 それに対してサンパウロっていうのは、ほぼ奴隷の代わりに入ってきた労働者なんです。それがコロノや工場労働者になり、コーヒー農園や工場の3Kの仕事をやったわけです。

深沢 はあ~。子供が多い家族(働き手の多い家族)は田舎でコロノとして働き、子供が少ない家庭は工場労働者になったと聞きました。