「徳をもって天下を治めることは、時代のニーズだ」──。2012年2月、温家宝首相が行った政府活動報告の中のワンフレーズである。

 社会道徳や企業倫理、家庭や個人の道徳が失われた中国。その危機意識がこの一言に表れていた。

 「中国は儒教を信じる国家だ」と認識する日本人は少なくない。確かに、かつて中国にはそうした思想家たちが存在した。だが建国後、1966年の文化大革命と1979年の改革開放という2度の変節を経て、儒教精神の継承は完全に分断された。

 中国の著名な儒学者は「儒教思想を一言で表すなら『治』だ」と言う。「治」とはいわゆる「管理すること」だ。その対象は国であり、組織であり、自分自身である。

 だが、現在の中国における官僚の腐敗、経営者の脱法行為、「80后、90后」(80年代、90年代生まれ)と呼ばれる若年従業員のわがまま放題を目の当たりにすると、「管理して統治」する機能がほとんど失われてしまったと言わざるをえない。だからこそ儒教が復活しているのだ。

 中国人は儒教の教えに熱心に耳を傾ける。とりわけ経営者にとって、新鮮に響くようだ。中国では「民営企業の寿命は長くて2年」とも言われている。起業したはいいが、会社の存続に自信を持てない経営者が少なくない。経営理念、経営戦略を練り、組織をまとめる際の拠りどころとして、この伝統思想にすがろうというのだ。

日本的経営の根底には儒教の教えがある?

 実際に中国の書店では儒家思想を中心とした書籍が売れている。儒家思想を中国では「国学」と呼ぶが、多くの経営者が「国学と企業管理」などの書籍を携えている。

 「上有好者、下必甚焉。上の人がいい人だと、下もつき従う、という意味だ。経営者として学ぶべきものがある」