前々回の小欄では、ロシアが軍人の給与を一挙に3倍も引き上げたことをご紹介した。これまで食うや食わずだった軍人たちに民間企業並みの給与を与えることで、汚職へのインセンティヴを抑制し、士気を保つのが狙いだ。
そして、給与引き上げと並んでロシア政府が力を入れてきたのが、軍人の住宅供給問題である。実はソ連崩壊以降、軍人用住宅の整備は軍事上の一大問題であった。今回は、この問題を軸に、ロシア軍が直面する社会補償問題を考えてみたい。
冷戦終結で大量の兵士が帰還
住宅供給がなぜ、軍事上の大問題となるのか。原因の第1は、冷戦があまりにも急激なプロセスで終結したことによる。
簡単に時系列を追ってみると、米国のロナルド・レーガン大統領とソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長が冷戦終結を宣言したのが1989年で、同年中にはアフガニスタンとアジア方面(主にモンゴルとベトナム)に展開していたソ連軍主力が撤退を完了した。
さらに1991年にソ連が崩壊すると、ワルシャワ条約機構およびソ連構成諸国に駐留していたソ連(ロシア)軍も撤退を開始し、1994年にはグルジアや沿ドニエストルなどの一部地域を除いて完全に撤退した。
こうして、わずかな期間で大量の軍人とその家族たちがロシア本国へと引き揚げてきたわけだが、問題は受け入れ体制だった。
兵士たちは除隊させて故郷へ帰せばよいが、職業軍人である将校たちはそうはいかない。かといって冷戦終結とソ連崩壊の煽りで国防予算は激減しており、官舎の建設も進まない。
この結果、実に30万人もの将校およびその家族が帰国しても官舎を支給してもらえず、バラックやキャンピングカー、場合によってはテント暮らしを強いられることになったのである。
もともと、東欧からの撤退期限を1994年に設定したのはソ連のエドゥアルド・シュワルナッゼ外相だった。
軍は上記のような事態を予測していたために撤退期限をもっと後にするよう反対したのだが、冷戦終結を優先するシュワルナッゼ外相が政治判断で強引に早期撤退を決めてしまい、多くの将校と家族が割を喰う羽目になったのだった。