2012年4月11日に投開票された第19代韓国国会議員選挙(総選挙)は、与党のセヌリ党が過半数を超える152議席を獲得し、「予想外の大勝」となった。圧勝が予想された最大野党・民主統合党(民主党)は選挙戦終盤でオウンゴール(自殺点)を連発し、自滅した。

 与党を率いた朴槿恵(パク・クネ)党非常対策委員長(60=比例区で当選)が年末の大統領選に弾みをつけたのは間違いないが、それでも今回の選挙結果の大統領選への影響は未知数との意見が多い。

北朝鮮の発射実験を押しのけ「総選挙一色」

 日本では、北朝鮮のミサイル発射や金正恩(キム・ジョンウン)労働党第一書記就任が連日大きなニュースだが、韓国ではそれこそ「総選挙一色」だった。

 ミサイルも第一書記就任も、選挙のニュースの合間に報道する程度で、いつもながらこの差に愕然とさせられる思いだ。

 韓国の国会の議席数は今回から1つ増えて300。投票率は5年前の総選挙より8ポイント高い54%だった。

 獲得議席数は与党セヌリ党152、民主党127、左派系の統合進歩党(進歩党)13、韓国中部の忠清道を地盤とする地域保守政党である自由先進党5、無所属3だった。

 今回の総選挙については、わずか2カ月前までは与野党の関係者やメディアが一致して「民主党圧勝、セヌリ党惨敗」を予想していた。

 中小零細企業の経営が苦しく、若者層の雇用も悪化する一方で、「経済失政」に対する批判から「与党の議席数は100を割り込む」とさえ言われていた。

 ところが、選挙戦終盤に入って、与党が急速に追い上げ、最終盤で逆転して「単独過半数」という専門家の誰もが予想しなかった結果となった。

「選挙の女王」の力で大逆転

 与党勝利の最大の貢献者は、「選挙の女王」との異名をとる朴槿恵氏だ。李明博(イ・ミョンバク)大統領の人気低迷と「総選挙惨敗」という一致した予想を受けて「最後の切り札」として党非常対策委員長に就任し、党改革と選挙対策の全権を握った。

 朴槿恵氏の動きは素早く、行動も大胆だった。「党が完全に生まれ変わります」と宣言し、党名をハンナラ党からセヌリ党に変更。併せて、総選挙の党公認作業でも全権を握って、高齢のベテラン議員や李明博大統領に近い議員を相次いで脱落させ、新人候補を大量擁立した。

 高い個人的人気を利用して全国を飛び回り、徐々に党勢を回復させていった。