ニッケイ新聞 2012年2月11日~15日

(2月11日から8回にわけて連載されたものを上・中・下の3回にまとめたものです)

第1回 政府軍に拷問の末、銃殺。「テロリスト」か「侍」か

 キューバ革命の英雄エルネスト・チェ・ゲバラといえば、今も南米左派勢力の憧れの的だ。彼は1967年10月、革命運動のために潜伏していたボリビア山中で政府軍に殺害された。ゲバラのゲリラ部隊二十数人には唯一の日系人前村フレディ(ボリビア二世、1941―67)も加わっていた。

 フレディの父純吉は1913年に20歳でペルーに渡り、ボリビアへ転住した。純吉の数年後に弟の重春もペルーに渡り、こちらはブラジルに転住した。長年に及ぶ軍事政権のくびきから解かれ、念願だったフレディの本を出版する前後から、ボリビアの前村家とブラジル親族との間では、戦前以来の実に70年近い空白を埋める奇跡的な交流が再開している。

 「どうしようもないチノ(東洋系を侮蔑する言葉)のくそ野郎の一人だ」。前村フレディを幼い頃から知る同郷の政府軍兵士は、捕虜になった日系革命家にそう罵声を浴びせた。子供時代には何度か助けたこともある、気心の知れたはずの友人だった。

 ゲリラ部隊は軍事政権から民衆を解放するために立ち上がったはずだったが、大衆には理解されなかった。ボリビアで革命をなし遂げ、ラテンアメリカ全体を解放するきっかけにするとのゲバラの壮大な理想に共感し、フレディは家族には秘密でゲリラに加わっていた。

 2カ月以上も政府軍の追撃から逃れ続けてクタクタになっていた67年8月31日、東部サンタクルス州の山岳地帯で、地元民の密告により政府軍の待ち伏せを受けて捕縛された。

 フレディは仲間を裏切って遺体の人物確認することを拒み、志を貫いて拷問のすえに銃殺された。まだ25歳だった。その2カ月後、39歳だったゲバラも政府軍に捕まり銃殺された。

叔父・前村フレディの物語『Samurai da Revolucao』(Editora Record)を刊行した前村エクトル

 そんな情景が詳しく記されたフレディの人物伝『El Samurai de la Revolocion』(スペイン語)を書いて06年に出版したのは、マリー(フレディの姉)とその息子エクトル(42、ボリビア国ラ・パス)だ。

 フレディは軍事政権から「テロリスト」の烙印を捺され、ボリビア国内では長いこと「禁じられた存在」だった。民政移管後も軍は政権に圧力をかけ続け、ゲリラの遺骨発掘さえ30年間も認めてこず、遺族への迫害を続けた。

 マリーは「本当の出来事を知ってもらいたい。フレディはテロリストじゃない。国を良くしようと戦ったのよ」と息子に繰り返し説いてきた。

 この本は反響を呼び、08年には日本でも翻訳版『革命の侍 チェ・ゲバラの下で戦った日系二世フレディ前村の生涯』(以下『侍』と略、長崎出版、松枝愛訳、伊高浩昭監修)が、09年にはポ語版『Samurai da Revolucao』(Editora Record)も出された。

 「フレディの本を出版したあの頃、僕は個人的な悩み事を抱えて思いつめ、自殺を考えるぐらい酷い心理状態だった。そんな時、ブラジルから親族が突然会いに来て話をして救われ、僕の人生は大きく変わった」とエクトルはふり返る。

 スペイン語版を出版したのと前後して、伯国側の前村家と70年ぶりに本格的な交流が再開し、国境を越えた家族の歴史の歯車が回り始めた。

 エクトルは1月30日に聖市で取材に応え、「ブラジル日系社会のみなさんにも、こんな日系人がいたことを知って欲しい」と呼びかけ、移民ならではの世界史の一部といえそうな家族史を語り始めた。