シリアのアサド政権と国際社会の綱引きが続いている。

 3月1日、政府軍は反体制派の牙城だった中部の町・ホムス南西部のバーバ・アムル地区を制圧した。

 医薬品や食料が枯渇した同地区に国際赤十字が援助物資を搬入しようとしたが、アサド政権はそれを禁止し、その間に同地区で死体の撤去と反体制派の大量逮捕を行ったと見られる。大量処刑があったとの未確認情報もある。

 その後、同7日になってようやくエイモス国連人道問題調整室長(事務次長)がバーバ・アムル地区への訪問を認められ、「(同地区は)破壊し尽くされている」との声明を出した。10日には、アラブ連盟と国連の合同特使であるアナン前国連事務総長がシリアを訪問し、弾圧停止に向けた交渉を行った。

 一方、アサド政権への軍事攻撃を求める声も出てきている。アメリカでは共和党のマケイン上院軍事委員会筆頭理事が5日、シリアへの空爆を要求。それに対し、オバマ大統領は、米軍単独での軍事介入を否定した。

 現時点では、NATOのリビア空爆のような迅速な軍事介入の見通しはないが、今後、国際社会ではシリア反体制派への軍事支援や、トルコ国境などに安全地帯を設置する案などが話し合われることになると見られる。

 他方、シリア政権内部でもわずかだが動きがある。石油鉱物資源省のフサメッディン副大臣が8日、政権を離脱して反体制派に合流する声明を発表。政権幹部に後に続くように呼びかけたのだ。まだ小さな一歩だが、政権に綻びが出てきた徴候と言える。

 とにかく情報をすべて統制し、現実に起きていることを隠蔽するのが、昨年春から現在までのアサド政権の一貫した方針である。国際メディアが自由に取材できないため、日々の情勢情報がよく分からないシリアの情報を、筆者がフェイスブックやユーチューブを通じて入手してきたことは、これまで本連載でお伝えした通りだ。

ハマへ戦車部隊が突入、各国がアサド退陣を要求

 シリアの騒乱はこの3月半ばですでに1年になるが、震災一色の日本ではほとんど報道されなかったため、その経緯があまり知られていない。本稿では昨年夏以降、どのように流血がエスカレートしてきたのかを振り返ってみたい。

 反体制派の活動家たちは、昨年3月にデモが開始された当時から、SNSやユーチューブを通じて情報発信することを計画していて、こうしたネットでの情報発信を最初から戦略的に行っていた。世界中が見ているということが、独裁政権による無差別的な暴力を抑止する唯一の道だったからだ。

 他方、筆者のような海外の取材者からすれば、SNSは非常に便利なツールだった。情報収集だけでなく、例えば反体制派とのコンタクトも容易だった。

 ひと昔前であれば、国際紛争の取材では、特に反体制派組織との接触ルートを見つけることはそれなりに煩雑な手順を要したものだが、今回は、いくつもの主要な反体制派グループとネット経由で簡単にコンタクトすることができた。