ニッケイ新聞 2011年11月25日~30日

第1回=全県挙げての大歓迎=「お帰り」と握手攻め

約1000人の地元高校生らが一糸乱れぬショーを繰り広げた

 母県と県人子孫の心の絆とは何なのか。それはいつまで継承されるものなのか――どんな県人会にとっても重要なこの問いに答える壮大な取り組みが、いま沖縄で行なわれている。

 5年に一度の「世界のウチナーンチュ(沖縄県人)大会」に参加するためにブラジルから1千人以上が馳せ参じたこと自体凄いことだが、ただ単にその現象を報じるのではなく、「なぜそんなに来ているのか」について分析・推論を連載にした。一体、沖縄県民とその海外子孫に何が起きているのか。

 琉球大学の招待で大会に参加した機会を利用し、各国の日系社会の状況とそこにおける沖縄系社会の様子に加え、どの県や県人会にとっても役立つ活性化のヒントが含まれていないかを探る。沖縄をたたき台に、母県と県人子孫が一体となって取り組んでいるルーツ意識の掘り起こしについて取材してみた。深沢正雪記者)

 10月12日昼すぎの那覇市国際通りでは、次々にブラジル沖縄県人会の面々と顔を合わせた。しかも、みな家族連れだ。まるでまだサンパウロ市にいるかのような錯覚に襲われる光景で、尋常ではないことが起きているとの強い印象を受けた。

 その日は地元紙によれば世界25カ国から約5200人もの在外県人とその子孫が集まった第5回世界のウチナーンチュ大会の前夜祭だった。国際通り沿道には地元市民が鈴なりに押し寄せ、帰還パレードをする子孫らに向けて「お帰り」と呼びかけ、握手攻めにあわせて熱烈歓迎した。

 翌日の開会式で仲井眞弘多(なかいま・ひろかず)知事は「みなさんは沖縄の宝です!」と満面に笑みを浮かべ両手を広げた。これだけの人数の子孫が一度に母県訪問することは、他県でありえるだろうか。これほどの官民挙げての大歓迎がありえるだろうか。

 最も盛大だった16日の閉会式では、1千人超の地元高校生らが琉球王朝の貴族風衣装をまとって見事な群舞を披露した。海外子孫や地元民ら約3万人を前に、伝統舞踊をベースに現代的なショー的演出を加えた民族的な逸話が堂々と演じられた。

 王様役が舞台で「万国津梁(世界の懸け橋の意)」の鐘に込めた想いを滔々と説き、それを「子々孫々に受け継ぎ、島の未来を指し示そうぞ!」と叫ぶと、会場全体から拍手が沸きあがった。海外子孫はその物語を県民と共有し、「自分達は祖先の地の歴史の延長線上にいる」と一体感を感じて感動していた。

 万国津梁とは、1458年に尚泰久(しょうたいきゅう)王の命で鋳造され、「万国を結ぶ懸け橋」となることを誓って同名の鐘を作ったことに由来する。琉球王国の伝説が今も生きている。

 前夜祭のパレードでの一般市民の歓迎振り、それに加え、閉会式の海外子孫を歓迎するためにこれだけの地元若者が参加するのは半端ではない。この大会はまさに地元挙げての行事、母県と海外子孫が同調して盛り上げている。

 初参加の下本八郎元聖州議(75、二世)は、「皇族がご出席される関係で、僕はいろんな県の植樹祭などに参加したことあるけど、この大会ぐらい世界中から子孫が集まるところはない」と断言した。

 一体、沖縄県で何が起きているのか。