中国語の勉強を始めて早40年近く経つ。もう上達は諦めたが、その筆者がつくづく「中国的だなぁ」と思う言葉の1つが「面子(mianziミエンッ)」だ。同じ漢字を使うが、日本語の「面子(めんつ)」とは微妙に異なる。

 この中国人にとって極めて大切な概念を正確に理解することが、「中国屋」の出発点だとすら思っている。

 「面子」については、中華圏で仕事をする多くの日本人ビジネスパーソンも悪戦苦闘されているようだ。彼らの経験を生き生きと記したブログをいくつか読ませていただいたが、中国人の「面子」といっても実に様々なパターンがあることが分かり、とても興味深かった。皆様、本当にご苦労様!

 そこで今回と次回は、この「ミエンッ」のメカニズム、特に、中国の政治指導者の「面子」が「潰れる」「保たれる」メカニズムの複雑さについて、いくつか具体的な例を挙げながらじっくり考えてみたい。

「面子」への配慮ひとつで人間関係は劇的に変わる

 中国人を怒らせるのは簡単だ。人前で面罵するなど、その人の言動を直接批判すれば間違いなく嫌われ、場合によっては一生口を利いてくれないかもしれない。公衆の面前で自分の欠点を指摘されれば、中国人の「面子」が確実に「潰れる」からである。

2010年上海万博まで10日、大規模リハーサルに市民が殺到

万博事務局の「面子」は守られた〔AFPBB News

 一方、中国人を喜ばせることも決して難しくはない。相手の「面子」を保ってあげさえすればよいからだ。典型的な例が今回の、上海万博PRソングの「盗作」騒動だ。面子丸潰れの万博事務局は、公式に非を認めることができない。認めれば、潰れた面子が更に潰れるだけだろう。

 その万博事務局が岡本真夜さんに救われた。ここで日本側が「盗作」を非難したり損害賠償を請求したりすれば、やはり「面子」は潰れる。だからこそ、快く曲の使用を認めて事務局の「面子」を守ってくれた岡本さんの「度量」が大いに敬服されたのだ。もちろん、「面子」とカネ勘定は別物だろうが・・・。