沖縄密約問題を契機に、外務省が作成後30年経過した外交文書を、原則として自動的に公開することになった。担当課による裁量の極力排除は画期的であり、これまで海外の公文書に頼っていた日本の政策史研究の前進が期待される。

 日本には政府文書は国民に開示すべきものだという発想が欠けていたが、米国では民主主義を守る観点から政府活動について国民の「知る権利」を認め、1940年から国家安全保障と外交に関わる機密情報の区分や公開について規定している。

 米国は機密情報の定義を(1)政府の正式な手続きを経ないで公開された情報が国家安全保障および外交に損害を与えると考えられるもの (2)しかもその損害を認定する所轄省庁が具体的に指し示すことができるもの――としている。

 基本的に機密として区分されるのは、軍事作戦、兵器とその運用、外国政府の情報、諜報活動、外交・国防に関わる科学・技術・経済・インフラなどの情報、核・原子力施設に関わる政府の安全プログラム、大量殺戮兵器の開発・生産・使用――などの情報である。

 こうした情報は「最高機密」「機密」「秘密」の各レベルに区分されて非公開となり、一定期間保管後に公開される。各省庁では機密扱いにならない情報でも、レベルを設定した上でアクセスに制限を付けている。

歴代米政権、「知る権利」に積極的な民主党VS保守的な共和党

故エドワード・ケネディ氏にスパイをつけていたニクソン大統領

「秘密主義」と言われたニクソン米大統領〔AFPBB News

 機密情報の公開に関わる指針については、歴代政権が大統領令という形で規定してきた。一般的な傾向としては、民主党が国民の知る権利を重視する一方で、共和党はより保守的な規定に傾く。

 最初に規定したのは民主党のトルーマン大統領であり、手続きの異なる原子力委員会を除く全省庁に統一の機密公開指針を示した。以来、共和党のニクソン政権が誕生するまで文書公開に関する規定は変更されていない。

 「秘密主義」と言われたニクソン大統領は、公開される可能性があり作成から30年以上経つ記録に対し「再審査」を必須とした。それに伴い、秘密文書公開には誇大な作業が要求されるようになる。政府は大量の文書を非公開に区分したため、既に国民に知られることになった事実や、時間とともに非公開の意味が薄れた文書など、本来公開すべきものが何十年も倉庫に眠ることになった。

オバマ大統領への激しい批判、「背景に人種差別」 カーター元大統領

カーター米大統領、機密文書を早期公開〔AFPBB News

 それを大きく変えたのが、カーター政権(民主)である。文書の機密区分を判断する際、政府高官は一般国民の知る権利を十分に考慮し、もし判断に困ったら最も低い機密区分に設定すべきだとの指針を示した。秘密文書の管理・公開を推進するため、情報安全保障監督局(ISOO)を創設。基本的に国家の安全保障に支障を来さなければ、できるだけ早く公開するという方針を取った。

 しかしレーガン政権(共和)が登場すると、時計の針は逆戻りする。1982年の大統領令では、カーター政権が定めた緩和規定の一部を撤回し、文書や記録の機密化を奨励した。