実りの秋。福島県郡山市のコメ農家の8代目・藤田浩志さんは、共に農業に携わる父母とともに、10月、11月の2カ月間は稲刈りに追われている。毎年恒例のことだが、今年の収穫には特別の思いがある。22日の前篇に引き続き、若き農業経営者が震災・原発事故から半年、現実にどう向き合い、これから何をしようとしているのか、ありのままに語ってもらった。
黙って耐えているだけでは何も変わらない
原発事故から田植えまで1カ月少々。首都圏に住む皆さんが、半年以上経って、ようやく自分の問題として気付き始めたことを、わずか1週間、2週間の間に濃縮して味わい、考えました。
チェルノブイリの人たちがどんなことを考えていたのか、広島・長崎で「ピカドンがうつる」と差別された人たちがどんな精神状態だったのかということを、全部くらいました。作付けにゴーサインが出たのは4月16日。その間、それはそれはきつかったです。
でも、今思うと、その1カ月、自分の考えをまとめるには短すぎず、長すぎず、丁度よかったのかな。その間、離農された方、残念ながら絶望して自らの命を絶った人もいました。知人のシイタケ農家の人は、出荷制限を受けて「人生で初めて、やることが何にもない」とぼやいているし、葉タバコ農家さんは、今年、生産することができませんでした。
うちの稲刈りを手伝いにきてくれている友人は、婿入りした先が原発20キロ圏内で、農業もできないし、新築してまだ1年も経っていない家に帰れなくなってしまった。そういう人が身近にいっぱいいる。理不尽だなぁって考えます。でも、理不尽だって文句言っていても何も状況が変わらないんですよ。
ただ黙って耐えているのではなく、情報を発信し、それが広まることで何かが動くかもしれない。そして、何より、一所懸命頑張っている人を取材することで、自分自身も力をもらっているんです。
もちろん、最初からこんなふうに考えられたわけではありません。「どこに移住しようか」とまで考えた時期もありました。2歳の子どもがいて、妻が2人目を妊娠中。当初は線量に関する情報も全然無くて、農業を続けられるのかどうかも分からなかった。でも、色々と情報を集め、勉強していくうちに、きちんとした対策を取っていけば、決して故郷を捨ててしまうようなことはないという結論に至りました。