庶民の食材が「高嶺の花」に上り詰めた理由

マツタケ、人工栽培への道(前篇)

2011.10.21(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

 日本人を魅了し続けてやまない食材の1つにマツタケ(松茸)がある。その気品ある香りと風味の良さは、実りの秋の食を、より彩りあるものにしている。

 実は、マツタケをこれほどまでの「風味ある食材」として珍重しているのは、日本の食文化特有のものであるともいう。日本の里山の中で、マツタケはマツの成長とともに育っていった。そして美味しく食されていった。

 前篇では、日本人とマツタケの関わりあいの歴史をたどっていく。さらに、戦後マツタケが「高嶺の花」になってしまった背景を、マツタケ研究を行っている茨城県林業技術センターの小林久泰氏とともに見ていく。また後篇では、マツタケ栽培化への挑戦の歩みを紹介したい。

 日本には、価値ある品を「贈り物」として大切な人に捧げる習わしがある。古の時代から「茸」(たけ、きのこ)は、贈り物としてふさわしい食材だったようだ。

 奈良時代に成立した『日本書紀』を見てみると、庶民から天皇への献上品に「茸」が含まれていた。5世紀頃、応神天皇が吉野の地を訪れた時、山奥にあったと伝えられる国栖(くず)の人びとが天皇に謁見した。それからというもの、国栖の人びとは都の飛鳥をしばしば訪れ、天皇に地元の名産品を献上したという。その様子がこう記されている。

 「これ以降はしばしばやってきて、土地の物を奉った。その産物は、栗、茸、鮎のたぐいである」(宇治谷孟『全現代語訳日本書紀』講談社学術文庫)

 この「茸」が、なにを指しているのかは分かっていない。天皇に献上する茸にふさわしい茸として、つい、マツタケを想像してしまうのは現代人だからだろうか。

 その香りと味、さらに希少価値があいまって、マツタケは日本の高級食材の代表格となっている。

『万葉集』の歌人や芭蕉が詠んだマツタケの歌と俳句

 『日本書紀』以降の歴史的文献で、ほかの茸よりもいち早く登場するのがマツタケだという。『万葉集』の巻十に、「芳(か)を詠む」として、次のような歌が詠まれている。

 高松のこの峯も狭(せ)に笠立てて盈(み)ち盛りたる秋の香のよさ

 奈良の春日山の南にある高円山の峰に、狭いほどに笠を立てて豊かに生えているマツタケの香りを詠んだ歌だ。歌は「香のよさ」で締めくくられている。

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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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