前回は、1949年の建国以後、中国は一時的に好景気に恵まれたものの、50年代半ば頃より計画経済が台頭し、間違った政策、自然災害などによって経済が大打撃を受けたことを述べた。

 今回は、当時の都市部と農村の生活を見ていくとともに「改革開放」以前の30年を総括し、最後に今後の中国の行方を展望したい。

 国家幹部は55年以降賃上げがなかった。新入社員の給料も一律に抑えられ、テスト期間は月給36元、正社員になっても一律で月に42.5元しかなかった。大学の卒業生の月給は56元であった。

 これぐらいの給料では自らの生活を維持するのもぎりぎりであり、家族を養うことはとうてい不可能である。その中で労働者の生活は何よりも厳しいものがあった。

 マクロ的に見ると、50年代後半、全国の平均賃金は年を追うごとに低下した。新入社員の給料が抑えられ、正社員の賃上げがまったくストップしたためである。物価はそれほど上昇しなかったが、供給が不足していた。

 実は、これこそ計画経済の特徴である。計画経済の基本はマクロ的なバランスが保たれることにある。投資は貯蓄によって決まり、貯蓄と投資のいずれも政府の管理下にあった。したがって、マクロの供給と需要が均衡すれば、物価水準は安定する。

 それに対して、ミクロレベルでは、物価が政府によって管理されていたため、需給関係を調整することはできない。商品によっては供給過剰となり、他方、供給不足の商品も少なくない。ミクロレベルの需給の不均衡を補うために、「配給制」を導入せざるを得なかった。

住宅事情は悪化し、農村では飢餓が蔓延

 60年代後半~70年代の文化大革命の間には、おおよそすべての日用品は配給制が適用された。値段は安いが、供給が不足するうえ、品質も悪かった。例えば食糧の供給を見ると、雑穀類のウエイトが急増し、米や小麦粉は祭日にしか供給されなくなった。普段はトウモロコシ、高粱(コウリャン)、イモ類が主食だった。

 住宅は家庭消費の中で重要な一部分である。一般的に均衡した市場環境において家庭支出に占める住宅関連支出の割合は4分の1、ないし3分の1程度が適正な水準と思われる。

 49年以降の30年間、中国の住宅事情は少しずつ悪化していった。当時の政策として、「生産を優先に、生活は後回し」ということが中心となり、住宅はほとんど建設されなかった。

 ただし、人口は急増した。50年に中国の人口は5億3000万人だったが、78年になると9億6000万人に増加した。だが、同じ期間中に住宅面積はせいぜい20%しか増えなかった。1人当たりの居住面積はますます狭くなり、数世代が同居することは珍しくなかった。