日本の中学校の部活で女子の競技人口が一番多いスポーツは何かご存じだろうか。答えはソフトテニス。全国中学校体育連盟の資料(2010年)によると、なんと約19万3300人もいるそうだ。

 では、なでしこジャパンの活躍で一躍脚光を浴びた女子サッカーはどうか。女子中学生の競技人口は、たったの約3500人しかいない。ソフトテニスとは約50倍の開きがある。バスケやバレーと比べても圧倒的に少ない。

なでしこジャパンはなぜ世界一になれたのか?』(平田竹男著、ポプラ社、1300円、税別)

 ちなみにアメリカの女子サッカーの競技人口は167万人。日本は約4万6000人しかおらず、40倍近くの差がある。

 日本は女子サッカーが盛んな国とは、とても言えない。それにもかかわらず、なでしこジャパンは2011年のワールドカップで世界の強豪を撃破して、世界一の座に上り詰めた。

 その偉業の秘密を、『なでしこジャパンはなぜ世界一になれたのか?』(平田竹男著、ポプラ社)は当事者の目線で解き明かしている。

 著者の平田氏は通産省の官僚時代からJリーグの立ち上げやワールドカップの招致に携わり、その縁から2002年にサッカー協会の専務理事に就任した。平田氏がサッカー協会理事として特に精力を傾けた仕事が、女子サッカーの普及と強化だった。

 サッカー協会は、練習環境の整備やコーチの育成、有望選手の早期教育などと併せて、「日本の女子サッカーの底上げ」を図った。女子サッカーという競技そのものの知名度を高めてファンや競技人口を増やすための戦略を練り、次々と手を打った。そうした仕掛けがあったからこそ、なでしこジャパンは世界一になれたのである。

負のスパイラルを逆回転させるには

──2002年にサッカー協会の専務理事に就任されましたが、当時、日本の女子サッカーは深刻な低迷期だったようですね。「どん底」の状態だったと言っていいんですか。

平田竹男氏(以下、敬称略) どん底でしょうね。1996年のアトランタオリンピックには出場できたけれど、2000年のシドニーオリンピックには出場できませんでした。アメリカで開催されるワールドカップ(2003年)にも出られそうにないという雰囲気でした。結局、メキシコとのプレーオフでからくも出場できましたが、誰もが中国、北朝鮮が行くものと思っていました。女子サッカーそのものに対する注目度も、とても低かったですね。

──選手たちはどういう心境だったんでしょう。

平田 負のスパイラルの直撃を実感していたんじゃないですか。90年代後半に仕事場が一気になくなっちゃったわけですから。90年代につくられた女子のプロサッカーチームって、今、ほとんどないんですよね。当時の代表メンバーは、今はみんな違う職場にいます。日本経済が「失われた90年代」だったこともあり、ばたばたと企業の女子サッカー部が廃止されました。