急告 生まれたばかりの男の赤ちゃんをわが子として育てる方を求む
菊田産婦人科
1973年4月17、18日の両日、「石巻日々新聞」「石巻新聞」の朝刊2紙に小さな新聞広告が掲載された。
依頼主は菊田昇医師、46歳。クリスチャンでもある彼は、広告を見て訪れた毎日新聞石巻通信員に、全国版の紙面に記事を掲載するならという条件で取材に応じた。
<10年ほど前から、7カ月以降の妊娠末期に中絶手術を希望する妊婦に対し、赤ちゃんを産むように説得してきた。すでに約220人の子供を別の夫婦の実子として届けることで、中絶や胎児殺しから救っている。今回、事実の公表に踏み切ったのは、現行制度の不備を指摘し、養子法を改正するように働きかける目的からである。>
菊田医師の希望どおり、「赤ちゃん斡旋事件」の記事は毎日新聞と朝日新聞の1面トップで報道された。
記事の反響は大きく、菊田医師から赤ちゃんをもらいうけた養親たちの感謝の言葉や、全国各地の産科医たちからの賛同の声も紹介されて、200人以上の赤ちゃんの命を救った「英雄」として菊田医師は一躍時の人となった。
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菊田医師が著した『この赤ちゃんにもしあわせを 菊田医師赤ちゃんあっせん事件の記録』(人間と歴史社)によると、1973年当時の優生保護法では、7カ月末までの胎児は経済的理由があれば人工妊娠中絶が許されていて、中絶が許されないのは8カ月からだった。
しかし、すでに臨月に入っていたり、ときにはお産が始まってから駆け込んできて、堕ろしてくださいと医師に泣きつく女性もいた。このような妊婦は毎年10人前後は訪れたという。
7カ月といえば、赤ちゃんの身体はほぼ完成している。手術によって胎外に出されても産声を上げて、未熟児管理を行えば十分に生きていける。つまり、この時期に堕ろすことは、たとえ合法であっても「子殺し」以外のなにものでもない。