プーチン首相は大統領時代から日本との領土問題解決に熱心だった。だが、日本との対話が始まったかと思えば、すぐに元の状態になってしまうことに、いつも落胆していた。彼は今までに、少なくとも3回は大きな落胆に包まれている。
こうやって落胆が続くのは、ある種の悪循環だと言えるだろう。11月末にロシア大統領府長官のセルゲイ・ナルイシキン氏が来日し、鳩山由紀夫首相と会談した。北方領土問題は会談の大きなテーマだった。やはり悪循環は続いているのだろうか。
ナルイシキン長官は、領土問題についての対話が成果を出すには、以下の3つの条件があると主張していた。
(1)国際法の枠内で行われるべき、(2)お互いの立場への尊敬と理解のもとで行われるべき、(3)感情的、政治的な対立につながる言動をなくすべき、ということである。また「両国の原則的な立場は、まだ正反対である」ことを踏まえながらも、「対話」を続けるつもりであると強調していた。
しかし、ナルイシキン長官と一緒に来日していたロシア代表団のメンバーから聞いたところ、プーチン首相を中心としたロシア中枢の政治家たちは今の日本の対応に落胆しているという。ナルイシキン長官と鳩山首相との「対話」は、何か実りがあったのだろうか。
歩み寄りそうで、結局、もの別れに終わってきた対話
「落胆」の悪循環を理解するために、今までの「対話」の経緯を振り返ってみよう。
1997年から98年にかけて、当時のエリツィン大統領と橋本首相の間で「ネクタイなし」会談が2回行われた。しかしこの会談は成功しなかった。その理由は、2回目の会談(場所は静岡県・川奈)で、日本側は4島を2島ずつに分けることに賛成したものの、国後と択捉に関しては、日本の主権の承認を要求していたからである。
日本は歯舞・色丹を引き渡すことになるものの、ロシアからしてみれば、これでは事実上「4島返還」にも等しいので、「受け入れられない」と反発した。その時以降、問題解決の具体的な案は出なくなり、両国の歩み寄りができない状況となった。
このように、ロシアと日本が平和条約を結べるかどうかは、国後・択捉の所有権をどう定義するかが大きなポイントとなってくる。
2000年にプーチン政権が誕生して、話し合いは両国の外務省のレベルで進んだ。その中で、4島を2島ずつに分けて別々に討議する合意ができたが、具体的には進展しなかった。その後、小泉政権時代に、外務省内の「ロシアンスクール」バッシングに伴って、合意へのプロセスはつぶされてしまった(ロシアンスクールとは、省内でロシア語を専門外国語とするグループを指し、その中で東郷和彦氏らを中心とするグループは「2島プラスアルファ」での解決を考えていた)。これはプーチンの最初の落胆である。その結果、ロシアには、「2島返還」という妥協を否定する声が強くなった。